端正な顔立ちとダイナミックなレースぶりで「ボート界の貴公子」と称されてきた山崎智也(48=群馬)が、電撃引退する。12日、日本モーターボート競走会に引退届を提出した。理由について「(GPを制した)あの頃はただただ楽しかった。最近は勝っても楽しくない感じがしてた。ずっと楽しいからやってた仕事だったんだけどね。また、やる気になる時が来るかもって続けたけど、変わらなかったよ」と話した。

【記者の秘話】山崎智也「お前はボート以外何もできねぇな、って言われたい」高校時代知る記者>>

山崎は92年にデビューすると、97年の全日本選手権(ダービー)でSG初制覇。その後も11度のSGタイトルを獲得して、トップレーサーとなった。輝かしい戦歴の中で低迷期といえるのは、08年3月三国以降、10年11月戸田までの優勝回数ゼロの時代だろう。そのスランプを脱出するきっかけとなったのが、当時の女王・横西奏恵(現・山崎奏恵さん)との電撃結婚だった。10年12月1日に婚姻届を提出すると、直後の丸亀で優勝。11年の尼崎オールスターでは、初日メインのドリーム戦で最強夫婦対決も実現した。奏恵夫人が引退した直後の12年にはグランプリ初優勝。愛娘が誕生した15年にも有言実行で2度目のグランプリ制覇を果たした。その後もG1、SG優勝を重ねたが、真の充実感は得られなかった。「でも、思い出に残ってるのは2度目の賞金王かな。初めてのダービー優勝も自分なりには残ってるけどね。これからは見るとしても、娘(山崎小葉音)のレースを見るくらいかな」。

歴代獲得賞金ランクは26億円弱で現役2位。素晴らしい実績を残した。昨年はライバル浜野谷憲吾が14年ぶりのSG優勝で復活を遂げた。長年、関東地区のWエースとして君臨してきた山崎にも、復活の期待をかけるファンは多かったが、9日の宮島G168周年がラストランとなった。

▽山崎の妻で、元ボートレーサーの横西奏恵さん レーサーとしてすごい人だけど、私にとってはいい夫、お父さんなのはこれからも変わりません。長い間お疲れさまでした。

◆山崎智也(やまざき・ともや)1974年(昭49)3月11日、群馬県邑楽郡邑楽町生まれ。71期生として92年11月桐生でデビュー。93年2月の平和島で初勝利を挙げ、同月の桐生で初優出(4着)。94年10月平和島で初優勝を飾る。97年唐津のダービーでSG初優出、初優勝の快挙を遂げた。SG優勝はオールスターが98年桐生、06年戸田、15年大村。グランドチャンピオンは15年宮島、16年蒲郡で連覇。ダービーは初優勝の97年唐津、03年戸田。グランプリシリーズは07年福岡、10年住之江、グランプリは12、15年の住之江で制覇。SG通算11度優勝、G1優勝は31度。通算93度の優勝。通算1968勝を挙げ、獲得賞金は25億円を超えるなど、数々の大記録を残した。同期には川北浩貴、馬袋義則、海野ゆかり、深川真二らがいる。164センチ、55キロ。血液型A。

◆ボートレース歴代通算獲得賞金ベスト5◆

順位 選手名  支部 生涯獲得賞金

(1)松井  繁 大阪 39億2486万1802円

(2)※今村 豊 山口 29億4144万6172円

(3)山崎 智也 群馬 25億9690万2205円

(4)今垣光太郎 福井 25億3381万2289円

(5)瓜生 正義 福岡 24億8761万5791円

※11日現在。山崎は12日時点で引退届が受理されていないため現役扱い。※は引退