10年前。当時私は、ジェフユナイテッド千葉のトップチームコーチをしていて、アマル・オシムと一緒に仕事をしていた。チームはJ1を戦いながら、若手選手の育成戦略として、JFLにジェフ・リザーブス(2軍)というチームも保有していた。

 当時の唐井GM(現町田ゼルビアGM)が、トップの若手、リザーブス、U-18(18歳以下)から将来性豊かな選手と、3カテゴリーからU-21(21歳以下)チームを編成し、イタリア・トリノで行われる国際親善試合に派遣してくれた。私は監督として大会に挑み、即席チームにしては、よく戦ってくれたと感じた。アタランタ、セルティック、アンデルレヒトなど欧州の強豪クラブの若手選手たちに1歩も引けを取らず、日本のチームらしく、真面目に粘り強く戦った記憶がある。

 その中に、今回代表に初選出された加藤恒平がいた。可愛い顔をしているが、プレーは戦闘的でガムシャラ。攻撃的MFとして技術はあったが、判断が伴っていなかった。自分よりも大きい選手に向かって仕掛けていく、飛び込んでいく勇気はあったが、その分、ミスも多かった。ただ細い体にムチを打ち、チームのために常に全力で戦う姿勢や、外国人選手にも物怖じしないメンタリティは、頼りがいがあった。

 しかしその後、結局U-18からトップに昇格できず、立命館大学へ。海外でプレーしたいという希望をあきらめずアルゼンチンに挑戦。日本に帰国し町田でプレーしたが、そこからまた海外に向かった。私も千葉を離れて代表チームに同行するようになってから、彼とは接点がなく、私の記憶の中から恒平の名前が消えていった。

 苦労を重ねただろう。欧州のモンテネグロやブルガリアの1部といっても、環境面や待遇面は決してよくない。外国人枠と戦いながらもチームで出場し続け、評価を勝ち取り、少しずつキャリアアップしてきた彼の努力は、簡単には想像できない。でも若くして海外へ挑戦してきた気持ちは、高校卒業後、ブラジルに渡った自分と通じるものがある。言葉もわからない、その国の文化や習慣もわからない、とにかくピッチでサッカーをすることで人生を構築していく。その期間の苦労は、どこかで大切なものを残してくれる。

 主戦場をボランチに変え、相手からボールを奪い取る、体を張って攻撃の芽をつみ、奪ったボールを攻撃へと繋げていくというプレースタイルがバヒド(ハリルホジッチ監督)の目に止まった。

 今の代表に求められるスタイルだ。恒平に期待する点は、奪ったボールをどう攻撃につなげるか、という部分だ。もともと攻撃的MFだったので、プレーの意識は常にゴールに向かっている。簡単に下げたり、横パスやバックパスばかりでミスを恐れて無難にプレーしたら、彼が呼ばれた意味がない。守備でのアグレッシブさは売りなので、そこは絶対に譲れない部分だと思うが、攻撃でも勇気を持って思い切りプレーをしてほしい。もちろん私が期待するのは、彼が活躍することだけでなく、日本代表が勝つことだ。でもその勝因の一つに彼の活躍があればちょっとうれしい。

 無名選手でも欧州の小国でのプレーでも、日本代表に選ばれる資格がある。これはバヒドのスタンスでもある。でもまだオーディションの段階だ。監督やスタッフの前で、毎日の練習で選ばれた理由をしっかり示すことができないと、1度呼ばれただけで終わってしまう。恒平が選ばれて、呼ばれなかった選手がいる。その選手たちのためにも目に見える何かを残さないといけない。

 この10年で、彼はどう進化したのだろう。先日、海外組の練習を見に行った。可愛い笑顔だけは10年前と変わってなかったな。

(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「フットボールの真実」)