Jリーグ下部組織(Jユース)を頂点としたユース年代の動向は最重要項目になっている。代表もJリーグも、そして海外に挑戦する有望選手も、全てはユース年代から生まれる。日本サッカーの人材供給源で、ある優秀な選手が誰も選ばない道を選び、育成の現実に1つの波紋を起こした。「選手育成を考える」の第3回では、Jユースから高体連への“移籍”を選んだケースに注目する。

 柏レイソル・ユースの主力が高3になる17年春、大きな決意を胸にクラブを去った。現在J2モンテディオ山形でプレーするFW中村駿太(19)は各年代別の代表に選出され、当時から注目されていた逸材。過去に数例あるが、こうした現象は極めて珍しい。中村は青森山田に転校した。

 中村 高2までは試合に出ていた中で、プロでは同じ立ち位置にはいられないと思ってました。出られない時も忍耐強くチャンスをつかまないと。だから新しい環境がこの先の自分に絶対にプラスかなと思って。

 この決断は育成年代の指導者の間で話題となった。中村は昨年度の全国高校選手権で青森県代表としてピッチに立ち、高校サッカーを全身で感じ、連覇を逃し16強で幕を閉じた。

 中村 今の高体連とJユースでほとんど差はないと思います。高体連だから技術が落ちて、その分をフィジカル、メンタルでカバーするとか、もうそういう時代じゃなくなってきていると思います。

 では違いはどこに?

 中村 やっぱり1年間青森山田でやって思うのは、部活動というのは学校あってのものということです。クラスメート、先生方が応援してくれ、成績を残せば校長先生も喜んでくれて横断幕も出る。学校を背負っている感覚がありました。

 日本協会が公表するデータでは、10年の日本代表選手の出身母体内訳は部活動の高体連が78%(大学13%含む)、プロの下部組織であるJユースが17%。直近の17年は52%(同9%含む)、43%と互角になりつつある。どうして高体連出身が、いまだにA代表メンバーに一定程度の割合で選出されるか、19歳の言葉にヒントがあった。

 中村 キャプテンを比べてみて、高体連の方が振る舞い、試合中の発言、礼儀、そういう面で人間的に大人だなあ、と感じました。Jユースがダメというわけじゃないんです。でも、より大人が多く感じました。

 サッカーは技術や運動能力で一定レベルに達すると、周囲と連係して問題を解決する能力が重要になってくる。例えば高校年代までは圧倒的なフィジカルで通用しても、五輪世代やそれ以上になると相手も一流になり、個の強みだけでは通用しなくなる。試合中に問題を見つけ、周囲と連係を取って対処する。

 高体連の選手が日々直面する問題に向き合うことは、問題解決のトレーニングになっている、との見方もある。Jユースは少数精鋭でプレーに集中できる半面、それ以外はスタッフが解決してくれる側面もある。

 そして、既に中村の進路をヒントにそれに続こうとする動きもある。

 中村 名前は言えないですけれど「考えてる」っていうのはいろいろ聞いてます。何人かとは話してみて「どうなんですか?」って実際に聞かれています。僕は勧めないです。Jユースから高体連に行けばプロになれるわけではないし、Jユースならプロには行けずとも良い大学にいけるかもしれない。仮に高体連なら大学にも行けないかもしれない。違う経験はできるけど、試合には出られなくなったりとか。僕が高体連に行って良かったと思うことは伝えますけど、Jユースでも成長できると伝えています。

 Jユースか、高体連か。この二者択一の議論から、視野を広げて多くのケースを吟味すべきだろう。Jユース→高体連→プロをたどった中村の出現は偶然ではない。育成を深く考えるための必然ではないか。では、Jユースの指導者は今回のケースをどう受け止めているのだろうか。【取材構成=鎌田直秀、井上真】(つづく)

山形FW中村駿太(18年4月5日撮影)
山形FW中村駿太(18年4月5日撮影)