ほんの少し、強がりかもしれない。でも、今の自分を素直に受け止めたからなのかもしれない。何よりも鹿島に戻ったからだろう。

 日本代表に落選した翌日から、MF三竿健斗(22)は鹿島アントラーズの練習に参加した。発表から17時間余り。それでも、前向きに過ごした。

 「(23人は)何となく雰囲気で、自分でも『微妙だな』と思っていたので、どっちになっても大丈夫だった。選ばれたら、出られるように頑張ればいいと思っていたし、落ちても次に向かってまた頑張ればいいと。どっちにしろ、頑張るしかなかったですから」

 実際、選ばれた昌子と植田のチームメート2人をすぐに祝福した。「自分の気持ちの整理がついてからですが、割とすぐでした」。

 取材中、通りがかったFW金崎が、三竿が囲まれる姿を見て、冗談めかして言った。「なんでみんなさぁ、傷口を掘るような…」。

 すかさず、三竿が笑いながら応えた。「夢生くん、傷ついてないよ…オレ」。

 すると、金崎が返す。「ごめん、オレは(三竿が落ちて)傷ついたからさ」。

 これに「ありがとう」と答えた三竿は言う。「鹿島のみんなからは『おかえり~』が多かったです。『みんなに早く会いたくて、帰ってきた』と言いました。やっぱり、このチームのみんなは優しいし、すごく居心地がいい。今日から練習できて僕も幸せですね」。

 ロシア大会への意識が初めて植え付けられたのは4年前の7月、高3の夏だった。足首をけがして松葉づえ姿で、所属先の東京Vユースの練習を見学していた。すると、隣にいた育成GKコーチの土肥洋一氏の言葉が聞こえた。「次のワールドカップはお前が目指すんだぞ」。

 最初に思ったのは「22歳か」。まだ早いと思った。「4年後、どこでプレーして、どういう選手になっているかも分からなくて」。

 実際、この4年間は多くの挫折を味わった。東京Vから鹿島に移った初年度の16年は、わずか4試合で計30分の出場。前年の39試合から激減した。17年の途中からやっと試合に出始めた。ただ、その年の最終節で川崎Fに逆転優勝をさらわれてピッチ上で号泣した。

 そうした挫折は常だった。そこにあらがう姿も、いつも通りだった。「すごく悔しい思いをすればするほど、自分は大きくなれている」。落選直後にツイッターに記した「これで僕はさらに強くなれると思います」との思いは、また新たな闘いへの決意表明だった。

 代表合宿ではサブ組からも外れ、主力組に入ったのはガーナ戦の前日練習の2本目だけ。抜てきし、ベルギー遠征で2試合とも起用したハリルホジッチ前監督だったら…という思いが周囲にはある。ただ、本人に後ろ向きな言葉はなかった。「インターセプトが出て攻撃の第1歩になれた。合宿中も代表選手の中で普通に発揮できた。自分の良さを再確認できたのが一番大きいです。本当に、行って良かったと思います」。

 持ち帰った収穫と課題。その感覚を失わないうちにプレーしたい。試合をしたい。だから、バックアップで帯同することよりも、鹿島に残る道を選んだ。

 「4年後に選ばれたい気持ちがもっと強くなった。次はもっともっとW杯が現実味を帯びる。たくさんいろんな経験をして、次は僕が中心となってやると思う。また頑張るしかない」【今村健人】

 ◆三竿健斗(みさお・けんと)1996年(平8)4月16日、東京都武蔵野市生まれ。横川武蔵野FCジュニアでサッカーを始め、東京ヴェルディの下部組織で育つ。15年にトップ昇格し、J2で39試合出場。16年に鹿島へ完全移籍。J1通算41試合1得点。U-17から年代別代表。兄は同じ誕生日で5歳上の鹿島DF雄斗。181センチ、73キロ。血液型B。