リオデジャネイロ五輪サッカー競技(男子)に出場する日本代表が、ブラジル北東部セルジッペ州アラカジュでの直前合宿を打ち上げました。大西洋の美しいビーチに面した街。晴れた日中は気温30度を超え、1次リーグ第1、2戦が行われる都市マナウス(同35度前後、湿度80%超)の暑熱対策の地として選定されました。14年W杯ブラジル大会では、ここアラカジュを拠点にしたギリシャがコロンビア、コートジボワール、日本と同組の1次リーグを突破しました。

 元日本代表監督ジーコ氏らの推薦もあり、4月に日本協会の担当マネジャーが視察。キャンプ地に選定した後の6月には手倉森誠監督(48)も訪れました。ホテルから練習場まで車で約15分と近く、ユニットバスが少ないブラジルでは珍しく、アイシング用の浴槽を多く備える施設でした。

 22日から7日間、計8回のトレーニングと練習試合を行ったバプティスタ競技場。日本が8月4日(日本時間5日)にナイジェリア、7日(同8日)にコロンビアと戦うマナウスのアマゾニア・アリーナ、10日(同11日)の第3戦でスウェーデンと対戦するサルバドルのフォンチノバ・アリーナと同じ芝が敷き詰められ、硬さなど感触を確かめる狙いもありました。

 25日の練習前には、このスタジアムを本拠に構えるブラジル4部セルジッペの試合がありました。直後に荒れた芝の上で練習を始めましたが、これも予行演習。マナウスでの試合がダブルヘッダーだからです。第1戦は午後6時からコロンビア-スウェーデン戦が行われ、すぐ後の同9時に日本-ナイジェリア戦がキックオフ。第2戦も午後6時からナイジェリア-スウェーデン戦、同9時から日本-コロンビア戦という流れ。本番でも荒れた芝の上を走ることになるのです。

 ただ、プレーする選手は芝の荒れよりも、日本との違いを感じていた様子でした。DF室屋は「何かフカフカしていて、ボールが変な方向にはねたり、バウンドが変わる」。練習と実戦を重ね、心構えだけはできたという状況でしょうか。

 一方、アラカジュ合宿で想定外だったのは気温の低さです。晴れた日の午前練習こそ31度まで上がった日もありましたが、夕方になれば25、26度まで下がります。湿度も50%前後でカラッとした気候のため、時間帯によっては長袖が必要なほど肌寒くもありました。当初の計画では午後5時30分開始の練習時間も1時間半、繰り上げ。それでも1日に数回あるスコールが一気に体感温度を下げてしまうため、26日はさらに1時間スタートを早めました。最終日の28日にいたっては雨でした。

 はじめから気温35度、湿度80%を超えるマナウスのような場所で合宿すれば「開幕前にパンクしてしまう」と警戒して選んだ地とはいえ、暑熱対策としては、やや想定外の結果に。合宿を打ち上げた後、アラカジュ空港で取材に応じた手倉森監督も「予想より寒かったことがね」と自ら切り出し、残念がっていました。

 ただ、リオ五輪アジア1次予選(15年3月、マレーシア)の前の月に行ったシンガポール遠征は、高温多湿のマレーシアに比べて寒すぎるほどの気候でしたし、優勝したアジア最終予選(16年1月、カタール)の前の月に行った中東遠征(カタール、UAE)でも、ダウンジャケットが必要なほど極寒の日も。その後の沖縄・石垣島合宿も雨が多く、半袖では冷え切ってしまう日がありました。

 そう考えれば、吉兆…なのかもしれません。現在、滞在中のブラジル中部ゴイアニアでは気温30度を超える暑さを体感できていますし、その中でブラジル代表とも戦えます。短期決戦では反省よりも切り替えが求められますし、68年メキシコ大会以来48年ぶりのメダル獲得へ「ポジテグ(ポジティブ?)」な手倉森監督の適応力に期待したいと思います。【木下淳】


 ◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメフットの甲子園ボウル出場。04年入社。文化社会部、東北総局、整理部を経て現スポーツ部。鹿島、リオ五輪日本代表担当。好きな芝種はペレニアルライグラス。