「ナオ」の愛称で親しまれたミスターFC東京、元日本代表のMF石川直宏(36)が引退した。2日のJ1最終節ガンバ大阪戦で、今季初出場初先発。今シーズン初どころか、15年8月2日に左膝前十字靱帯(じんたい)を断裂してから長期離脱していたため、同年7月29日のベガルタ仙台戦以来、約2年4カ月ぶりのピッチに、いきなり頭から立ったことになった。

 「ずっとチームの力になれず、自分も忘れ去られるようで苦しかった。(8月2日の引退会見で)最後に戻ってくる、ピッチに立ちます、と宣言したものの、本当に戻ってこられるかどうか…。プレッシャーは相当でしたよ」

 たどり着いた舞台は、同時にJ1ラストマッチとなった。前半だけで燃え尽きて退く覚悟もしていたが、個人の応援コールを背に、想定外? の後半12分までプレー。無心で走る感覚は久しぶりだった。「走っている時に翼で飛んでいきそうなくらい、逆に軽すぎて良くなかったくらい」。スコアレスドローに終わったが、対峙(たいじ)した元FC東京でガンバ大阪DFの今野泰幸に「動けていたし、十分に怖さもあった」と言わしめた。


■93年5月15日の国立スタンド


 引退セレモニー。涙が止まらず、第一声は「いや、しゃべれないっす」。小学校6年生だった93年5月15日、国立のスタンドでJリーグ開幕戦を生で見て「ピッチに立つ選手は、どんな思いをしながらプレーしているのか、自分も知りたいと思ったことでプロが夢、目標になった。ここ味スタも素晴らしくパワーのある場所でした。プロ18年、FC東京で16年。悔いはありません」と感謝した。

 翌3日のJ3最終節、FC東京U-23(23歳以下)対セレッソ大阪U-23(駒沢)にも出場した。「引退試合」と銘打っていた。先発試合の翌日も公式戦に出た記憶など、遠い昔だ。24歳以上のオーバーエージ枠で登録された石川はベンチスタート。前日のJ1に出た疲労、筋肉痛、膝痛のぶり返しは「ビックリするくらい。太もももパンパン、腰も張ってて」。その中で後半38分から送り込まれ、大仕事をした。出場から5分後の左CK。キッカーを任された石川が、痛めた左足を軸足に、右足で内回転をかけた。美しい軌道を描いてゴール前に向かい、FW原大智(18)の頭をとらえる。ボールはゴール右隅へ吸い込まれた。

 両手を広げた石川を目掛けて、次々と青赤の仲間が飛びかかる。得点した選手ではなく、アシストした選手に。サブメンバーもピッチになだれ込もうとして線審に止められるほど、全選手で喜んだ。場内アナウンスも、本来は時間と得点者を伝えるものだが、この日は「背番号18、石川直宏選手のアシストから…原大智選手が決めました」。♪ナーナーナナッナッ、イシカワナ~オ~。歓喜のコールが響き渡った。

 前日のJ1でもCKキッカーを務めたが、軌道が低く、はね返されていた。1日で修正し「なぜか本当に冷静で、全景が見られて、狙い通りの場所にボールを蹴ることができたんですよね」。これ以上ないアシスト締めだ。横浜F・マリノスから移籍してきた02年の4月27日。ナビスコ杯(現ルヴァン杯)1次リーグ初戦の清水エスパルス戦が、FC東京でのデビュー戦だった。先発した石川はアシストを記録。当時も応援していたサポーターが、この日も多くいた中で「当時、スタンディングオベーションしてくれたことを思い出します。このクラブで認められたんだ、と思えた瞬間でした。同じ駒沢でアシストに始まり、アシストに終わる。そして勝てた。言うことないです」。万感の思いだった。


■来季トップ昇格の原へバトンタッチ


 得点したのが、東京ユースのFW原というのも美しい。去りゆく石川から、来季トップ昇格する青赤のエース候補へ、バトンタッチとなった。187センチを誇る原は、東京五輪を狙うU-18(18歳以下)日本代表のセンターフォワード。11月のU-19アジア選手権予選(モンゴル)初戦モンゴル戦で、大会初ゴールを決めた有望株だ。高校3年で参戦してきたJ3でも、数字上はFW久保建英(16)の2倍の4得点を記録している。

 2人には2年前から縁があった。石川が左膝前十字靱帯断裂で入院していた15年、高校1年生だった原も左膝下の頸骨(けいこつ)を骨折し、同じ病院に入院していたのだ。「大智とも一緒に苦しい思いをしてきたし、点と点が線になった」と石川が言えば、原も「落ち込んでいた時にナオさんが励ましてくれた。入院中に読める本もくれたり、やさしい方でした。そのナオさんが最後にアシストしてくれて、本当に幸せでした」と恐縮した。思いを背負い、18年シーズンからプロになる。

 ほかにも仲間だらけだった。前十字靱帯を左2回、右1回も断裂しているMF米本拓司(27)とも同じピッチに立った。石川は「前十字仲間です。もう、ボールカットしたら俺のことしか見てなかったですからね」と笑いながら「ヨネの涙もグッときましたね。本当にクラブを引っ張ってもらいたい選手の1人」と後を託した。米本も「またナオさんみたいな選手が出てこないといけない」。クラブが生え抜きの元日本代表ボランチ米本にかける期待も大きい。

 試合では、元FC東京の盟友で、8月の引退会見時に「最も嫌だった相手」に挙げたDF茂庭照幸とも競り合った。2度目のセレモニーではDF徳永悠平(在籍14年、来季からV・ファーレン長崎に移籍)とトークショーを行った。インテルミラノDF長友佑都やマインツ武藤嘉紀からもビデオメッセージが届いた。クラブを離れたOB選手も多く駆けつけていた。

 最後はサポーターと約1時間かけてハイタッチし、スパイクを脱いだ。右腕に巻いたキャプテンマークだけは外せないまま、最後の取材を受けた。「家族みたいなクラブでした。今日は勝てて心からの笑顔を出せたし、寂しいけれど、不安ばかりでしたけど、待ち望んでいた最後。出来すぎです」。まだ現役を続けられるのではないか、と聞かれると「正直なところ、やりたいですけど…」と素直に打ち明けた上で、うなずいた。「でも、もう自分の言葉で言ったので。二言はないです」。出し尽くした。

 来季以降もクラブに残ることが内定している。アンバサダーなのか、現場なのか、営業なのか-。クラブによると、職種については「やってみたいことが多すぎて悩んでいる状態」。決まり次第、発表されるという。37歳になる来年はクラブ創設20周年。恩返し、悲願のリーグ初優勝を狙うクラブの発展に力を注ぐ。石川直宏は、第2の人生も青赤にささげる。【木下淳】


 ◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメフットの甲子園ボウル出場。04年入社。文化社会部、東北総局、整理部を経て13年11月からスポーツ部(東京五輪パラリンピック・スポーツ部)でサッカー担当。