「本田ジャパン」が結成された。5月30日のガーナ戦は、ほとんどのボールが本田を経由した。ハリルホジッチ体制の終盤には、肩身の狭い思いをしていた本田が復権した。生き生きとした表情で、ピッチを駆け回り、仲間に指示を出す本田の姿を見て、復活の兆しを感じた。パチューカで出番が増えて、試合感覚が戻ってきたのも事実だ。ACミランからの移籍は、ある意味、成功といえる。

 一方、若手有望株の井手口、浅野は落選した。移籍先で試合出場機会を失ったことが、大きな原因となった。それぞれ、G大阪と広島に残っていたら、今回の人選で漏れることはなかったのかもしれない。W杯メンバー選考に限ると、彼らの移籍は悪い選択だったかもしれない。しかし長い目で見た場合、必ずしもその選択が成長の妨げになったとは思わない。

 西野監督は5月31日、W杯ロシア大会に挑む23人を発表した。その日の当選会見でDF槙野は「プロとは?」と聞かれ「ケイスケホンダ」と答えた。本田のピッチ内外の姿勢を間近で見て感じたものを素直に口にしたのだろう。同時に、これは私見にすぎないが、大事なあるものを感じた。

 槙野は、空気が読める選手だ。ピッチの中だけに限らず、周囲への気配りも含め、普段から周りを見渡せる余力のある人物だ。その槙野が「ケイスケホンダ」と認めたことは、本田が復権したことを意味する、と私は解釈した。

 本田の復権は、悪くない。チームが、ある選手を中心にまとまることは、プラスに働くことが多い。実際に日本代表の中には、無難で平衡感覚のある長谷部より、志の高い本田を慕う選手が多い。その本田が、長谷部をリスペクトしているわけだからバランスがいい。長谷部というチーム全体を見渡せる選手がいて、闘争心むき出しの本田がうまくコラボできれば、チーム力は上昇するはずだ。

 西野監督は「化学反応」という言葉を好んで使う。指揮官が、この2人をどれだけ化学反応させることができるか。メンバー発表はノー・サプライズだった西野ジャパンが、本大会でサプライズを起こすことができるか。2人の融合に注目だ。【盧載鎭】

 ◆盧載鎭(ノ・ゼジン)1968年9月8日、韓国・ソウル生まれ。96年に入社して主にサッカー担当。柏監督時代の西野さんに、アトランタ五輪時に攻撃サッカーを主張した中田英寿に対する評価を聞いたが「ここだけの話」の約束を守り通している49歳。2児のパパ。