松本山雅FCが、Jリーグが今季から導入したホームグロウン(HG)制度の基準を満たすことができませんでした。25日に都内で開かれたJリーグの理事会で、規定の2人を下回った松本(1人)だけ、来季はプロA契約選手の枠が25人から24人に減らされることになりました。

HG制度とは、12~21歳の間に990日(3シーズン相当)以上、自クラブの下部組織やトップチームに所属した選手を最低2人、登録することを義務づけたもの。つまり中学、高校、または高卒後に計3年間プレーする必要があります。

初年度から3年間はJ1クラブが対象で、第1登録ウインドー最終日(今年は3月29日)がカウント日です。若手育成を促し、クラブ哲学を植えつけることが目的で、昨年11月にJ1から先行導入されることが決定。今季から運用が始まりました。J1は21年に3人、22年に4人まで増え、J2とJ3でも22年から1人が適用される予定です。

その制度に松本が“違反”-。理事会で承認後、一斉に報じられた事実関係だけを見た方は「規則を破った」「約束事を守らなかった」「育成に力を入れていない」と思われたかもしれません。ところがこれ、松本にとっては覚悟の「不順守」でした。基準を「満た“せ”なかった」のは間違いないのですが「満た“さ”なかった」事情があったのです。

というのも、松本はHG選手を3人「保有」しています。ただ、J1を戦っている現チームにいるのは東京五輪代表候補のFW前田大然(21)だけ。ほかの2人はJ2クラブに貸し出されているため、HG選手としてカウントされませんでした。

1人はツエーゲン金沢に育成型期限付き移籍中のFW小松蓮(20)です。松本U-18の出身で、こちらも東京五輪世代。17年12月、森保監督の初陣となったU-20日本代表のタイ遠征に選ばれ、得点もマークしている有望株です。今年1月に金沢へ武者修行に出てブレーク。昨季は松本で出番がなかったものの、今季は金沢の主力になって出場8試合でチームトップの3得点を挙げています。Jリーグが26日に発表した「平成最後の得点者」を占ったシミュレーションでは、清水エスパルスFW北川、浦和レッズFW興梠に続く3位にランクイン。統計的にも、平成から令和にかけて飛躍した選手の1人になりそうです。

もう1人は徳島ヴォルティスGK永井堅悟(24)。彼はリオデジャネイロ五輪世代で、14年のU-21日本代表や15年のJリーグ・アンダー22選抜に名を連ねました。13年に松本入りし、15年からJ3のカターレ富山へレンタル移籍。昨季まで2年連続で全32試合に出場しました。自信を胸に今季、松本に舞い戻る話もありましたが、正GK守田の壁は高く、再びサブになる可能性がある-。そこで今度は徳島に期限付きで移って、見事に開幕スタメンを勝ち取りました。現在は控え組に回っているものの、評価は上々です。

松本は、この2人のどちらかを残せばHG基準をクリアできました。しかし、反町監督や加藤GMは旅をさせました。2度目のJ1舞台。手元に置いても成長したでしょうが「飼い殺し」になってしまう懸念があったのでしょう。そこで、今回の決断。HG基準を満たせず、プロA選手の大事な1枠を放棄することになっても、外に出し、より多くの試合に絡ませる方が本人のためになる。そう判断したのです。

反対に、HG選手が最多の13人だったのはサンフレッチェ広島、ガンバ大阪、セレッソ大阪、清水エスパルス、ジュビロ磐田の5クラブでした。次いで鹿島アントラーズとFC東京の12人。すべてタイトルを取ったことがあるクラブです。いずれも日本リーグ時代からの母体を持つ名門だったり、大都市であったり、サッカーが盛んな地域だったり-。有望な人材が集まる条件が整っています。

対して、松本のようなJ参入の後発クラブ、地方クラブには厳しい制度と現状では言えるでしょう。J1とJ2を行き来するクラブの中には、もし今季J1だったら基準を満たしていなかったクラブもあります。だからといって、松本側には文句を言うつもりが一切ないそうです。育成が課題であること、下部組織の整備が不十分であることも素直に認めていますし、神田社長も入っているJリーグの実行委員会で議論して決めたことです。その中で強化方針を曲げることなく、代償を受け入れることにしたのです。

基準に到達させようと思えば、資格ある選手を無理やり獲得したり、3月29日までに頭数をそろえることは可能だったでしょう。ほかにも抜け道があるかもしれません。ただ、そのためだけに登録された選手が序列を覆して試合に出て活躍するか、と言われれば難しいでしょう。成長を妨げる結果にもなり、本末転倒です。

さまざま勘案した上で選んだ不順守。総力戦でJ1定着を目指す中で「1減」は死活問題になりかねません。しかし、小松や永井が進化して帰ってくれば戦力チャートは膨らみます。そこに賭けたからこそ“ペナルティー”を受け入れたのだと思います。

私が長野県出身だから、今季から松本担当になったから、ではなく、率直に覚悟のいる決断だなと思ったので、平成最後の「現場発」として取り上げさせていただきました。【木下淳】


◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。飯田高から早大。4年時にアメフトの甲子園ボウル出場。04年入社。文化社会部、東北総局、整理部を経て東京五輪パラリンピック・スポーツ部のサッカー班。鹿島、東京、リオデジャネイロ・オリンピック(五輪)、ワールドカップ(W杯)ロシア大会など取材後、今季から浦和レッズ、松本担当。実家はサンプロアルウィンから車で1時間強。

松本反町康治監督(2018年11月17日撮影)
松本反町康治監督(2018年11月17日撮影)