結果は10年FIFAワールドカップ(W杯)南アフリカ大会と同じだった。

日本は12年前のあの日、パラグアイにPK戦で敗れてから、何も進歩していないのだろうか-。

届きそうで届かないベスト8の壁。12年前にPKを外したのはDF駒野友一(当時磐田)であり、今回最初にPKを失敗したのが南野拓実(モナコ)だった。

両選手を指導している元日本協会育成担当技術委員長の西村昭宏氏(64=現JFL高知ユナイテッドGM)はこう語る。

「世界の強豪にはずっと続く、DNAという伝統がある。そういうDNAが、日本には必要なんです」

U-18~20日本代表の監督として駒野を、U16~17代表の日本協会団長として南野の成長に関わった。

「駒ちゃん(駒野)には左右ともセットプレーのキッカーを任せていました。PKも得意だったはず。あのパラグアイ戦(12年前)は、しっかり蹴れていたけど、バーにはじかれた。今回の拓実(南野)はPKだけを見れば確実にボールに力がなく、コースも甘かった。準備ができていないのに、地に足がつかないまま蹴ってしまった感じ。本来は思い切りのいい選手なのに…。そこがまだ、日本が(ベスト8の)壁を破れていないDNAという部分なのでしょうね」

クロアチアは前回大会で決勝まで進んでいる。

ただ、それだけでは語れない覚悟のようなものが見えたという。

「どんなことをしてでも、生きのびていかなアカンというのが出ていましたよね。それは彼らが戦争を経験しているということもあるのかも知れませんよね。PK戦でも相手もミスがあったけど、しっかり蹴れていた。試合を振り返っても、クロアチアがあんなに(ロングボールを)蹴ってくるとは思いませんやん。日本のプレスを警戒して、ちゅうちょなくバックラインの裏にボールを蹴って、それを拾う。そして相手も前からプレスをかけてきた。この2つは意外でした。それだけ、何が何でも生きのびる、勝つんだという覚悟を感じた」

ただ、悲観的にばかりなる必要はない。10年6月29日、アフリカの南、プレトリアのロフタス・バースフェルド競技場。現地で日本が敗退するのを見届けた西村氏は、こうも続けた。

「同じPK戦であってもあの時と、今回とでは違うんです。どんな形であれ、PK戦でもいいから勝ちたかった2010年。遠藤航選手の試合後の言葉にもあったように、PK戦に持ち込みたくなかった今回。同じベスト16でも、そこに進歩があると思うのです」

かつて“悲劇の地”と呼ばれたドーハが、今回の大会でドイツとスペインから金星を挙げたことで“歓喜の地”となったように、歴史は変わり、続いてゆく。

「南アフリカ(大会)から確実に進歩はしている。ただもう1つ、破らなければならないものがある。4年後、日本がDNAを得るための戦いは、これからすぐに始まる」

いくつもの経験は、いつしか伝統となり、壁を越えるきっかけになる。【益子浩一】

日本対クロアチア PK戦前の円陣で選手たち声をかける森保監督(中央)(撮影・横山健太)
日本対クロアチア PK戦前の円陣で選手たち声をかける森保監督(中央)(撮影・横山健太)
日本対クロアチア PK戦の末に敗れた森保監督(中央左)は選手に声をかける(撮影・パオロ ヌッチ)
日本対クロアチア PK戦の末に敗れた森保監督(中央左)は選手に声をかける(撮影・パオロ ヌッチ)
日本対クロアチア PK戦、シュートを止められる南野(撮影・横山健太)
日本対クロアチア PK戦、シュートを止められる南野(撮影・横山健太)
日本対クロアチア 試合後、サポーターにあいさつする森保監督(撮影・横山健太)
日本対クロアチア 試合後、サポーターにあいさつする森保監督(撮影・横山健太)