<高校サッカー:富岡2-0松山商>◇12月31日◇1回戦◇オリプリ

 この1勝を、一緒につかみ取るはずだった友にささげる。5年ぶり2度目の出場となった富岡(福島)が、松山商(愛媛)に快勝した。同校は福島第1原発から半径10キロ圏内にあり、今も避難指示解除準備区域に指定。入部予定だった同級生が津波の犠牲となった悲しみを乗り越え、選手権初勝利を挙げた。

 富岡イレブンが被災地へ、まばゆい希望の光を放った。ため込んだ思いをぶつけるように、前半で一気に押し切った。3分、FKからFW内山の豪快なヘッドで先制。10分後にも内山がゴール前で競り、こぼれ球を高木。内山は「何もない状況から始まった3年間。感謝の気持ちで戦いました」。06年の創部から8年。時間にすれば短いが、果てしないイバラの道だった。

 佐藤監督は震災後、自らバスを運転して生徒らを送迎。防護服を着て学校からサッカー用具を運び出した。「『おめでとう』より『ありがとう』と言われることが多くなった。地元の声援が選手の背中を押し、勇気をくれた。勝って感謝を表したかった」。苦労が報われ、口をついて出たのはお礼の言葉だった。

 震災が起きた11年に入学した3年生。福島北高内に設置されたサテライト校に通い、本校舎は見たことも入ったこともない。約50人は寮代わりとして飯坂温泉の旅館で生活。練習は福島市の公共グラウンドを借りられなければ、駐車場でボールを蹴る。許可を取って空き地の雑草を抜き、ラインを引いてピッチを“手作り”したことも。佐藤監督は「困難な状況を承知で入学してくれた子どもたち。全国で勝って感謝を示すという目標は、決してぶれなかった」とうなずく。

 ベンチでは貝塚晃太さんの遺影が見守った。貝塚さんは富岡進学が決まっていたが、津波で行方不明となった。県大会でチームトップの5得点を挙げながら、ケガでベンチ外のMF草野は中学で同じチームに所属。一緒に富岡で全国に行こうと約束していた。原発事故をきっかけに1度は山梨の高校に進むも「彼の分までという思いもあった」と1年の夏に戻ってきた。

 押し込まれた後半、好セーブを連発したGK高瀬主将は「背負っているものが違う」と言った。亡き友のため、傷ついた故郷のため、旋風を巻き起こす。【亀山泰宏】