なでしこジャパンのMF澤穂希(36=INAC神戸)が「最後のW杯」を終えた。男女史上初となる6大会連続出場。米国との決勝戦では、1-4の前半33分に最初の交代選手として投入され、体を張って攻撃の芽を摘んだ。後半34分からは宿敵で親友のFWアビー・ワンバック(35)との再戦が実現した。試合後にはあらためて現役続行を表明、16年のリオデジャネイロ五輪代表での雪辱を期す。

 人工芝ピッチの上で、澤は少しだけ目を潤ませた。「自分の位置付けとしては最後のW杯と思って臨みました。悔しい気持ちがないと言ったらうそになるけれど、チームの団結力を感じることができた。みんながここまで連れてきてくれました。自分自身はやりきったと思います」。堂々と言い切ると、自然と笑みがあふれ出た。

 心待ちにしていた出番は意外な形で巡ってきた。1-4の前半33分、DF岩清水との交代出場。「予定外の展開だった。ほとんどアップをしないで入った。その中で自分の役割があった」。過去の世界大会ではほとんど経験のない途中出場は、決勝トーナメントに入って、これが3度目。果敢なスライディングタックルを見せるなど、重苦しいムードを変えようともがいた。

 大会期間中、控え組として練習する日々が続いた。「苦しいときは私の背中を見て」と、先発フル出場で引っ張ってきた前主将の役割は変わった。腹を割って後輩たちと向き合う時間が増えた。右膝負傷の岩渕には、自身のケガの経験を伝え「W杯は4年に1回。無理しなきゃ後悔するよ」と復帰へ向けて背中を押した。緊張が見えた仲間には積極的に話しかけた。その姿を見た大野が「ホマにしかできない役目。あらためて尊敬した」と言うほど、新たな役割に徹した。

 澤はこう振り返った。「今まで味わったことのない経験だった。今までも分かっていたつもりだけど、陰でたくさんの方が支えてくれている。先発11人が出るために、みんなが全力で戦う姿が勉強になりました。今回のW杯は、違った形で自分を知る機会だった」。

 ただ、内心は穏やかではなかった。大会期間中、「私ばかりじゃなくてさ、みんなに話を聞いて、記事にしてあげてよ」と取材を拒んだことがあった。以降、記者が声をかけた時はほとんど取材に応じなかった。先発できないもどかしさが交錯していた。だが、試合前日になると、必ず前向きな言葉を並べた。そうやって、緊張の糸をつないでいるように見えた。

 3年前のロンドン五輪で、なでしこジャパンのユニホームを脱ぐ覚悟を決めたことがあった。だが、決勝で米国に惜敗。考えれば考えるほど、サッカーが好きでたまらなかった頃の自身の姿が脳裏を巡った。負けず嫌いな心にも火がついた。「もう1度、ワンバック選手と真剣勝負がしたい」と、再び走り始めた。

 後半34分、米国サポーターが総立ちで出迎える中、そのワンバックが出てきた。互いが「最後のW杯」と臨んだ大舞台での再戦だ。互いが差し出した右手のひらを軽く合わせた。3分後には、ドリブルでゴール前に迫ろうとした宿敵に、後方からスライディングを見舞った。イエローカード。2度とないW杯で激しくぶつかった。

 初めてW杯の舞台に立ったのは20年前のスウェーデン大会だった。第3戦スウェーデン戦では、FWとして得点への意欲が空回りしてGKと激突し、救急車で搬送された。第4戦米国戦はベンチ入りしたが、出場なし。今大会の準決勝イングランド戦では、その20年前の米国戦以来となる出場なしの悔しさを味わった。

 日本女子サッカー界の「レジェンド」は、新たな役割をまっとうして最後のW杯を終えた。来年にはリオデジャネイロ五輪のアジア最終予選と本大会がある。9月に37歳を迎えるが、集大成に向けて、まだまだ成長している。まだまだやれることがある。【鎌田直秀】