元サッカー日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏(67)が自身が率いた02年ワールドカップ(W杯)日韓大会時の選手選考理由について語った。

5日、横浜市神奈川区民文化センターで行われた「ヨコハマフットボール映画祭2022」のトークショーに登壇。監督就任時の日本の印象について「あまり日本のことよく知りませんでした。イメージでは全員柔道着を着ていると。来てみたらそんなことはないんだなと思いました」と話した。

自身が選手選考で重要視していたのは「グループを大事にできるかどうか。それを大きな基準に考えていました」。当時、トルシエ監督はA代表のみならず、五輪代表やU-20代表の監督も務めた。「あの時はほとんどの代表選手が日本でプレーしていて、海外組は中田(英寿)、小野(伸二)、稲本(潤一)くらいしかいなかった。今はほとんど全員が外国のチームでプレーしている。当時はFIFAの規則の影響をあまり受けず、招集のハードルがあまり高くないのがよかった。毎月のように選手を集めて練習をして一体感を高めることができた。Jリーグとも話して、日、月、火でミニキャンプができたりもした。そこが今との大きな違いですね」。

トルシエ氏は「みなさんに覚えておいてほしいのは、チームというのはただベストな23人を選べばいいというわけではない」と語り、W杯メンバー23人を決める際は選手を3カテゴリーに分けて考えていたことを明かした。第1グループはスタメン組で約15人。第2グループが試合途中からの投入を考えている「試合中に1分で準備して、残り30秒でも頑張れる選手」で4、5人。最後の第3グループが本大会中で1試合もプレーできないことがほぼ確定している選手で「大体4人くらい」と語った。

02年W杯の選手選考ではMF中村俊輔の落選に大きな衝撃が走った。トルシエ氏は「今日もそうですし、今でもこのことをよく聞かれます」と苦笑いしつつ、その理由について「まず伝えたいのは、私は中村選手を選手として評価していますし、クオリティーが高く、W杯に出場する力はあると思っていました。簡単に言えば、彼は当時、ケガをしていました」と説明した。

W杯直前に招集したスペイン遠征では「3週間の合宿で1分も練習に参加できない状態でした」と明かし「彼はメディカルの治療を受けている状況で、彼のコンディションが回復するのを願っていました。その合宿中に行ったレアル・マドリードやノルウェーとの親善試合、練習にも参加できず、メンバーを決める上で決断しなければいけない状況でした」。

その上で頭の中にあったのは先述した選考における3カテゴリーの考え方。「中村選手は今、言ったどこに属するグループでしょうか?もし第3グループに入れてしまったら、毎試合『なぜプレーしないのか』とみなさん聞いてきますよね。そうなると選手のグループが壊れてしまいます。当時の彼は第1グループにしか属さない選手。そこに入れないなら外すべきだと思っていました。ですから、100%の状態の三都主(アレサンドロ)を変わりに選びました。私にとっては簡単な決断でした。残念でしたけど、プレーできない状況だったからです」。

このほかにも監督就任の経緯やW杯カタール大会へ臨む日本代表へのエールなど、約1時間半、語り尽くした。最後は来場した観客全員と丁寧に握手。「みなさんで映りましょう」と呼びかけて写真撮影も観客をバックに行い「今日は呼んでいただいてありがとうございました」と笑顔で会場をあとにした。トークショーにはタレントの笹木かおり、ノンフィクションライターの宇都宮徹壱氏も登壇した。