【ドーハ10日=木下淳】リオデジャネイロ五輪アジア最終予選を兼ねるU-23(23歳以下)アジア選手権が明日12日、開幕する。6大会連続の五輪出場を目指すU-23日本代表の手倉森誠監督(48)に、双子の弟浩氏(48=JFA復興支援特任コーチ)から五輪切符の獲得を願うエールが届いた。今日11日は東日本大震災から4年10カ月の月命日。浩氏は被災地を勇気づけるような活躍に期待した。

 カタールから約8650キロ離れた仙台で、兄の成功を信じている。手倉森監督の弟浩氏は「遠藤主将がインフルエンザで離脱して心配していたけど、全員そろって開幕を迎えられそうで良かった。昔から目の前の戦力に合わせたサッカーで勝ってきたし、U-20W杯を逃した世代を突破に導けば日本にとって大きい。自分が言うまでもないけど、日本のために6大会連続の五輪出場を決めて帰って来てほしい」とエールを送った。

 39年前、サッカーを始めた日から支え合ってきた。「思い出すよ、家に帰ったら誠が正座してたんだ」。小学4年。当時は2人とも剣道少年だった。「誠は始めてすぐ県大会で3位に入るくらい筋が良かった」。だが、「サッカーをしたい」と両親を説得していた。「俺はバスケットボールが好きだったんだけど『お前も座れ』って」。以来、小中高、住友金属鹿島、NEC山形と同じ道を歩み、現在は日本協会に籍を置く。

 92年に住友金属鹿島との契約が満了し、そろってJリーガーの夢が破れた。「誠は居酒屋をやると言い出して。でもNEC山形との面接に行くだけ行ったら、交渉がうまくてね。どんどん給料が上がって『やっぱり俺も続ける』と(笑い)」。95年、兄が一足先に引退した。初めてコーチと選手に立場が分かれ「言葉の使い方が抜群で、説得力があった」。選手としては浩氏の方が世代別代表の常連だったが、兄は後に指導者として日の丸を背負った。

 09年は仙台のヘッドコーチとして監督の兄を支え、J1昇格に貢献。その経験から代表スタッフにも太鼓判を押す。「洋平(佐藤GKコーチ)は鹿島の後輩で誠に意見できるし、秋葉(コーチ)とは09年のS級ライセンス研修で仙台に来た日から相性が良かった。誠が力を発揮できる組み合わせ」と成功を信じている。

 今日11日は東日本大震災の発生から4年10カ月。14年10月には、そろって宮城・松島町で復興支援を行った。「被災地を回れば『オリンピック頑張って』と間違われる。12年に仙台をJ1準優勝に導いた誠のことを被災地の方は忘れていない。その心、思いをくんで戦ってくれれば」。明るい話題=最終予選突破の知らせを、日本で待っている。

 ◆手倉森浩(てぐらもり・ひろし)1967年(昭42)11月14日、青森県五戸町生まれ。現役時はFW。五戸小6年時に全日本大会3位。五戸高3年時に全国選手権8強。兄誠とのコンビは漫画「キャプテン翼」の立花兄弟のモデルとされる。86年に住友金属鹿島(現鹿島)入り。93年にNEC山形(現山形)移籍。97年に引退し山形のユース監督やコーチを歴任。08~10年は仙台、12年は山形でヘッドコーチを務めた。13年から現職で被災地を回る。