元日本代表コーチで日本サッカー界の発展に尽力したドイツ人指導者デットマール・クラマー氏が17日、ドイツ南部ライトインビンクルの自宅で死去した。90歳だった。死因は明らかにされていない。60年に来日し、日本代表のコーチに就任。64年東京五輪8強、68年メキシコ五輪では銅メダルに導いた。

 元日本代表で1968年メキシコ五輪で得点王を獲得した「日本最高のストライカー」釜本邦茂氏(71)が、恩師のクラマー氏への思いを語った。16歳で出会い、サッカーがうまくなるための礎を築いてくれた教えは、すでに日本のサッカー少年・少女へと伝授している。

 「初めて会ったのは16歳や、高1。あの出会いがなかったら、ストライカー釜本邦茂はいなかったかもしれん。本当に感謝です」。

 60年秋。京都・山城高1年だった釜本氏は、指導者講習で全国行脚していたクラマー氏に出会った。釜本氏の存在を知ったクラマー氏が希望して組んだ、関西選抜の講習会だった。

 「日本代表だけでなく、高校時代も大学時代も、ずっと気にかけてくれた。中学まではサッカーがどういうスポーツで、どうトレーニングすればいいかなんて教わったことなかった。プロ野球選手になろうと思っていたくらいだからね。サッカーの神髄を教わりましたよ。こういうことをすれば賢く、うまくなれますよってね」。

 指導は基本の繰り返しだった。「言うことはいつも一緒。『蹴る』『止める』『運ぶ』それを、いかに速く正確にやること」。当時の日本にもっとも必要なことをしっかり伝えてくれたドイツから来た伝道師だった。「今何をしたらいいのかという、頭の良さや的確な状況判断は、それが出来れば、自然と体が動くんだとね」。釜本氏は定期的に全国を回ってサッカー教室を行っている。「私が子どもたちに言うことはクラマーの教えをそのまま伝えていますよ。基本は何十年たっても変わらんよ」。指導された情景を思い浮かべるように懐かしんだ。

 練習中は非常に厳しく、ピッチ外では何でも相談に乗ってくれる父親のような存在だった。だが、サッカー選手としての生活習慣だけは妥協を許さなかった。日本代表のドイツ遠征中、試合後のレセプションで、カミナリを落とされたことがあった。

 「試合の後だからおいしいじゃない。代表メンバーみんなで冷たいビールを一気飲みしたんよ。そうしたら『おい、外出ろ』ってね。『まずはお茶でも飲んでからだ』ってね。それはもう怖かった」。

 胃が小さくなった時の体への負担を考えた愛情だ。すべてはサッカーのため。最後に会えたのは3年前、日本でのパーティーだった。「元気にしているのかって、声をかけてくれた。残念です」。クラマー魂は、釜本氏も受け継いでいく。【鎌田直秀】