川崎Fがクラブ創設から21シーズン目で悲願の初タイトルを手に入れた。首位鹿島と勝ち点2差の2位で迎えた最終戦で大宮に5-0の快勝。開始1分でMF阿部浩之(28)が先制し、FW小林悠(30)がハットトリックと爆発。磐田に引き分けた鹿島と勝ち点72で並んだが、川崎Fが得失点で上回り、逆転で初優勝が決まった。リーグ戦は8月から15試合負けなしだった。J1ではリーグ年間2位とルヴァン杯、天皇杯の準優勝が計8度。ついにシルバーコレクターの汚名を返上した。

 川崎Fがついに頂点に立った。これまでJ2でのリーグ優勝は2度あるがJ1では無冠。創設からクラブに関わってきた人々の願いがかなった。川崎Fで指導者になって11年目、今季トップチームの監督に就任した鬼木監督が初のタイトルをもたらした。

 17年も準優勝で始まった。元日の天皇杯決勝。昨季のJ1王者を決めるチャンピオンシップ準決勝で屈した鹿島に雪辱を期したが、見せつけられたのは数々のタイトルを積み上げてきた王者の底力だった。延長戦で勝ち越しを許して敗れ、MF中村は「少しの差が天と地の差になる」との思いを強くした。

 しかし、11月4日のルヴァン杯決勝では開始43秒の失点などでC大阪に敗れ、またも準優勝。8度の「銀」のうち7度を経験した中村は、足りなかったものを問われ「それが分かっていたら優勝してます」と唇をかんだ。この時点でリーグ戦は3試合を残して鹿島と勝ち点4差。ただ中村が「ここからどれだけ切り替えられるか」と話したように負けを引きずらず、この1カ月を3連勝で駆け抜けた。元日に煮え湯を飲まされた鹿島を最終戦でかわし、初優勝をつかんだ。

 観客を魅了する攻撃的なチームを志向し、12年4月から風間監督(現J2名古屋)が就任。大久保(現東京)が13年から史上初となる3年連続得点王、昨年は司令塔の中村が史上最年長36歳50日でMVP獲得など、個々では高い能力を示していた。攻撃力はリーグ屈指とも称されるまで磨き込まれ、今季ヘッドコーチから昇格した鬼木監督が守備力を上乗せし、チームを開花させた。

 Jリーグが観戦者を対象に行った調査では、10年から6年連続で「地域に大きな貢献をしているクラブ」で1位となるなど、地域に愛されてきた。川崎Fがその愛情に応え、念願のタイトルを地元にもたらした。

 

 

 ◆川崎フロンターレ 1955年に富士通サッカー部として誕生。77年に日本リーグ1部に昇格。92年に旧JFLに参加。96年11月に運営法人を設立し、97年から川崎フロンターレ。98年JFL2位でJ1参入決定戦に出場も、福岡に延長Vゴール負け。99年にJ2優勝。00年にJ1初昇格も1年でJ2に戻った。05年からJ1に定着。愛称の「フロンターレ」はイタリア語で「正面」「前飾り」の意味で、常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツ、正面から正々堂々と戦う姿勢を表現したもの。マスコットは「ふろん太」。ホームスタジアムは等々力陸上競技場(2万6827人収容)。