湘南ベルマーレが、東京オリンピックを目指すU-21(21歳以下)日本代表MF杉岡大暉(20)のゴールで横浜F・マリノスを下し、初めて進出した決勝で初優勝した。

湘南は、前身のベルマーレ平塚時代の1994年度(平6)に天皇杯で優勝したが、親会社のフジタが撤退し、00年に湘南ベルマーレと改称して市民クラブとして再出発して以降、J1リーグ戦を含めたトップディビジョンにおける国内3大タイトルを初めて獲得。J1昇格4度、J2降格4度の「エレベータークラブ」が、経営危機や主力流出といった苦難を乗り越え、栄冠に輝いた。優勝賞金は1億5000万円。

湘南が開始早々、積極的に出た。開始14秒で、右サイドを抜け出したMF岡本拓也がシュート。同30秒にも中央からMF秋野央樹がミドルシュートと横浜を押し込んだ。

横浜も前半2分、右から切り込んだFW仲川輝人の折り返しをMF天野純がシュートも、かつて横浜に在籍したGK秋元陽太の正面を突いた。同10分にもMF大津祐樹がシュートを放ったが枠を外すなど決めきれない。

その後も、湘南が岡本、FW石川俊輝を軸に、右サイドで横浜を押し込んだ。前半19分、岡本からのサイドチェンジを受けたFW梅崎司が左足でシュートも枠を外した。同29分にも、DF山根視来の縦パスを、FW山■凌吾がすらしたボールを、走り込んだ梅崎が受け、そのまま独走してシュートも、再び枠を外した。17年まで埼玉スタジアムをホームとする浦和レッズでプレーした梅崎が、勝手知ったピッチで躍動し、湘南がさらに流れを引き寄せた。

そして前半36分、湘南が先制した。DF山根のパスが相手に当たったこぼれ球を拾った杉岡が、ゴール正面約20メートルから、左足を振り抜きシュート。ボールはGK飯倉大樹の手を弾き、ゴール右に突き刺さった。

後半は横浜もFWウーゴ・ヴィエイラと仲川を軸に攻め返したが、湘南が体を張った守備で最後までゴールを死守した。

湘南が、1968年(昭43)に藤和不動産サッカー部として創部してから50年の節目の年に、ルヴァン杯の頂点に立った。94年にベルマーレ平塚としてJリーグに参入し、95年元日の天皇杯で優勝。98年ワールドカップ(W杯)フランス大会の日本代表に選ばれたMF中田英寿、FW呂比須ワグナー、GK小島伸幸らを輩出し、名門の道を突き進むはずだった。だが、99年にフジタが経営再建のため撤退し、00年から長いJ2生活へと入った。

04年、大倉智氏(現東北社会人リーグ・いわきFC社長)が強化部長に就任。後に湘南の社長になる大倉氏は「世界のサッカーは走っている。走らないとサッカーではない」と、06年6月に就任した菅野将晃監督とともにユースを含め「走る湘南スタイル」の礎を築いた。続く反町康治監督もそのスタイルを継承し、09年にはJ1昇格を決めた。だが、選手にかける人件費は当時、浦和レッズなどビッグクラブの10分の1程度。走ることはできても、技術がJ1レベルに達していない現実に直面し、わずか1年で降格した。

そこからクラブは、ベテランを獲得するのでなく、若手を育て、その伸びしろにかける方針へと転換した。反町監督の最終年となる11年、現在の主軸であるFW高山薫(30)ら若手を主力に起用。12年に曹貴裁監督が就任すると、DF遠藤航(現シントトロイデン)、MF永木亮太(現鹿島アントラーズ)と、後に日本代表に名を連ねる「原石」を起用し、次々と頭角を現した。

だが、育った若手の逸材は、他クラブの目に留まり選手が引き抜かれていく。J1だった16年は遠藤、永木ら主力6人が移籍。MF菊地俊介の長期離脱もあり、リーグ戦10連敗の泥沼にはまりJ2へ降格。だが「湘南スタイル」の定着と、若手が日本代表へと羽ばたく環境を示したことで、新たな風が吹いた。

DF杉岡、MF金子大毅(20)ら将来の日本代表候補が「若手も積極的に起用してもらえる」と他クラブのオファーを断って湘南を選んだ。リオデジャネイロ五輪代表候補になった秋野は「走る、戦う部分を磨きたい」と17年に柏レイソルから、ベテランの梅崎も「自分自身の成長のために」とハードなトレーニングを覚悟の上で、浦和から今季、加入した

4月18日の1次リーグ・サガン鳥栖戦では、先発にプロA契約選手が4人しかおらず、リーグ規約の「最強のチームによる試合参加」(A契約と外国籍選手合わせて6人以上を先発起用)の基準に達せず制裁金600万円の処分を受けた。もちろん、故意ではなく、練習で動きのいい若手を先発に選んだ結果で、監督もクラブスタッフも違反に気付かなかった。

だが、その試合で抜てきされた大卒新人のDF坂圭祐は今では不動のセンターバックとなり、同じく新人のMF金子とともに決勝進出の立役者になり、ともに先発した。サブと主力の区別なく、プロ1年目でも活躍する舞台が与えられるクラブだからこそ、成し遂げたルヴァン杯優勝だった。

00年からの湘南ベルマーレとして4度目のJ1の舞台でつかんだタイトル。今年4月、フィットネスクラブを運営するRIZAP(ライザップ)グループの傘下に入り、ライザップは20年までに10億円以上の出資を約束している。「若手が育つ→選手が抜かれる→戦力ダウンで新シーズンを迎える」という負の連鎖を断ち、選手の給料をアップできる体力を得られるようになった。

新体制では当初「20年までにJ1、天皇杯、ルヴァン杯いずれかの獲得、収容率NO・1、満員のスタジアムという結果をコミットします」と宣言したが、予定より2年早く結果にコミットすることになった。

湘南の真壁潔会長(58)は「目標を決めて、しっかり宣言すると、うちみたいにコツコツやっている選手がいるところに、神様はその目標に近づくようにしてくれているんじゃないかな」としみじみ。湘南が市民クラブからビッグクラブへの階段を昇り始めようとしている。

※■は崎の大が立の下の横棒なし