昨季限りで現役を引退し、今季からJ3藤枝MYFCでアンバサダーを務める成岡翔氏(35)がこのほど、日刊スポーツの単独インタビューに応じた。藤枝東高からジュビロ磐田入りし、プロ17年間では計5クラブでプレー。現役最後のクラブとなった藤枝で1年間プレーしたことがきっかけで、「地元愛」を強くした。クラブ初のアンバサダーとして臨む今年は「新たなチャレンジ」。地域とクラブをつなぐ立場として「第2のサッカー人生」を歩み始める。【取材・構成 神谷亮磨】

島田市で生まれ育った成岡氏は、名門の藤枝東高で10番をつけてプレーした。世代NO・1の司令塔と呼ばれ、年代別日本代表では国際大会にも出場。プロでは磐田などでプレーし、昨年に藤枝に加入した。「地元」でのプレーが転機になった。

-藤枝が現役最後のクラブだった

成岡氏 自分のキャリアを考えた時に最後は藤枝で、という思いでした。ケガがちだったし、みんなに姿を見せられるだけいいかなと。最初はそんな軽い思いでしたが、来てみたら反響がすごくて。その時に考えが変わりました。「何か藤枝に残さなければいけない」と。

-藤枝ではリーグ戦出場1試合。時間もわずか1分だった

成岡氏 試合に出られなかったことが心残り。ここ数年はひざの状態もよくならなかった。クラブの社長から「もう1年選手として」というお話をもらいましたが、プレーするのは限界と思っていたので、自分から引退させてもらいました。選手として貢献できなかったので、違う部分で何か手伝えないかと。そこでアンバサダーのオファーをもらい、迷わず決めました。

-藤枝でプレーしたことで感じたことは

成岡氏 相模原でもそうでしたが、J3の認知度がまだ低い。市民との関わりという点では、特に静岡は難しいと思います。磐田と清水の間に藤枝があって、東部には沼津もある。藤枝でサッカーと言えば、藤枝東が有名。母校ですが、何とかして(藤枝)MYFCを地域のトップにもっていきたい。そうすれば街も盛り上がっていくはずです。

-選手とは違う立場でクラブに関わっていく

成岡氏 正しい言葉か分かりませんが、僕を使ってくれていい。それで地域とクラブがつながる手助けになればと思います。まだよくなる余地があるところにも、やりがいを感じるし、地域と連携してクラブを大きくしていきたい。そういう部分で自分の経験を還元できればうれしいです。

-第2のサッカー人生が動きだした。将来のビジョンは

成岡氏 一番はJ2やJ1を目指す中で、力になれれば幸せです。指導者や解説の仕事、メディア出演も含めて、何でもオファーを受けます。今までサッカーしかやってこなかった。今はいろんなことにチャレンジして、自分は何ができるかを知りたい。失敗も成功も、やってみないことには分からない。全てが勉強で、全てが新たなチャレンジ。その覚悟でやっていきます。

◆成岡翔(なるおか・しょう)1984年(昭59)5月31日、島田市生まれ。5歳からサッカーを始める。六合SSS-EWS FC-藤枝東を経て、03年に磐田入団。その後は福岡、新潟、相模原、藤枝でプレーし、昨年限りで現役を引退。U-16から年代別日本代表に選出される。J1通算303試合35得点、J2通算37試合6得点、J3通算12試合出場。175センチ、70キロ。血液型A。