21年秋に新たに開幕予定の日本初の女子プロサッカーリーグ「WE(ウィー)リーグ」の初代チェア(代表理事)に就任した岡島喜久子氏(62)が7月31日までに日刊スポーツの取材に応じ、女子サッカー界のさらなる発展へ向けたビジョンを語った。

岡島チェアは日本代表にも選出された一流選手で、二足のわらじで、外資系金融機関に長年勤務。91年から米国を拠点としている。さまざまな立場で得た知見を生かし、日本女子サッカー界の改革に着手する。【取材・構成=松尾幸之介】

岡島チェアが日本女子サッカー界の先頭に立つ。新設のWEリーグは欧州基準の秋春制を採用し、参入クラブには役員やコーチに女性を1人以上含むことなどを条件とした。女性活躍社会をけん引し、なでしこジャパンを再び世界一へと押し上げるリーグへ-。「日本サッカー協会とも話をしながら、今までになかったことをしていきたい」と意気込んでいる。

79年の第1回全日本女子選手権(現皇后杯)で優勝したFCジンナンの元選手で、日本代表でもプレーした。早大卒業後の83年からは外資系金融機関に長年勤務し、91年から拠点を移した米国でも経験を積んだ。女子リーグが盛んな米国で試合会場にも足を運び、その違いも体感した。「米国は女の子とそのお母さんらファミリーで来ることが多い。女子大学生のドラフト会議では選手はドレスアップし、完全なショーになっていた」。本場で選手、ビジネスの両面から得た知見は大きい。

日本でも早速、何かを変えたいと思っているようだ。「選手はピッチの上では、もちろん自分のプレーをみせてほしい」としつつ、モデルの仕事などもこなす米国代表FWモーガンや、同MFラピノーらがドレスなどを着た姿がSNSやメディアに大きく取り上げられている点に着目。「極端に言えば、宝塚のメークをして写真を出すとか。そこまでいかなくても、きれいなメークをしてドレスを着た写真を撮るとか。してみたいという子を探して、きれいなかわいい格好をして前に出てくる。米国ではモーガンのシャツを着た女の子が山ほどいます。ピッチ外でもこういうことができるんだという魅力を出して、中高生にみせていきたい」。

集客の工夫にも思いをめぐらせる。就任会見では家族連れや女性客増加を狙い、スタジアムの道の駅化やヨガ教室などの開催も提案した。日本では中学生年代の女子チーム不足が課題で、運動能力の高い女子小中学生が他のスポーツへ流れやすい現状もある。「試合会場にサッカー以外にも楽しいことがあるというものを、つくっていきたい。まだまだマイナーな女子サッカーを盛り上げていくには、いろんな角度からさまざまな年代に働きかけていくことが大事。WEリーグでは会場に託児所をつくることを義務付けている。4、5歳の子も連れてきてほしいなと思います」と力を込めた。

今後も拠点は米国に置きながら新リーグ立ち上げの重責を担う。自らも出向くパートナー企業の交渉では「コロナの影響は思ったより強い」と新型コロナウイルス感染拡大で、苦戦も強いられているが、経済界の人脈なども生かし「例えば証券会社であれば女子の営業員にセミナーをしたり、ちょっと違う角度で価値を提供できたら」と動いている。10月には初代参入クラブも決定予定。「現役選手やチームマネジメントともコミュニケーションをとりたい。なでしこリーグに残るチームも置いていかず、全体で盛り上げていきたい」。岡島チェアが先頭に立つ、日本女子サッカー界の大きな挑戦が始まろうとしている。

◆WEリーグ 開幕は21年9月。ホームアンドアウェー方式の総当たりリーグ戦で、翌年5月ごろ終了。初年度は6~10チームで開催予定。入会申請が締め切られた7月31日、マイナビ仙台が入会申請したと発表。審査を経て、10月に参入クラブが公表される見込み。アマチュアのトップリーグであるなでしこリーグの上位に置かれる。最低年俸(270万円)も設定し、15人以上とプロ契約を締結しなければならない。外国籍選手は5人まで登録可能(試合出場およびベンチ入りも合計5人まで)。

◆岡島喜久子(おかじま・きくこ)1958年(昭33)5月5日、東京都生まれ。中学2年だった72年から日本初の女子クラブ、FCジンナンに所属。高倉麻子現日本代表監督ともプレー。79年の日本女子サッカー連盟設立時の初代理事で、83年には日本代表として広州女子国際大会に出場。同時に早大卒業後の83年からケミカル銀行(現JPモルガン・チェース銀行)に入行し、89年の海外転勤を機に現役引退。91年からは拠点を米国へ移し、メリルリンチなどの外資系金融機関で勤務した。