川崎フロンターレMF中村憲剛(40)が現役ラストマッチを終えた。出場機会こそなかったが、アップして出場準備を整えながら、チームメートに声をかけ、励ました。試合後は初の天皇杯優勝、初のシーズン2冠の喜びに浸った。

日本代表やJリーグMVPと輝かしいキャリアを築いた中村のプロ生活は、練習生からのスタートだった。

日本中がW杯日韓大会に熱狂していた02年夏、庄子GMは当時中大の佐藤コーチ(現監督)から「いい選手がいるので見てほしい」と連絡を受けた。練習会では技術の高さと視野の広さに「そこに(パスを)出すのか」と驚かされた。守備的な同ポジションの選手と中村、どちらを獲得するか意見が割れたが、この決断が中村とフロンターレの運命を変えた。

03年に入団するとルーキーながら全試合にベンチ入りし、44試合中34試合に出場。翌年にはトップ下からボランチに転向して定位置を確保し、41試合に出場してJ1昇格に貢献した。

キャリアは順風満帆で、06年10月にはA代表デビューも果たした。2戦目で初先発するとゴールを決めてみせ、オシム監督からは「プレーがエレガントでボールの扱いがうまく、アイデアがあり遠くを見渡せる」と賛辞を受けた。同年にはチームも優勝争いに加わり、中村は初の優秀選手賞を受賞した。

ただ、何度挑戦してもタイトルへの壁は高かった。06年、リーグ2位。07年、ナビスコ杯準優勝。08年、リーグ2位。09年はリーグ戦、ナビスコ杯ともに準優勝。4年で5度の「2位」は“シルバーコレクター”とやゆされた。

一方、個人としては06年から5年連続でベストイレブンを獲得した。10年には南アフリカ大会でW杯の初舞台を踏んだ。同年オフには海外挑戦のチャンスも得たが、「どこまでやれるか試したい気持ちと、フロンターレでのタイトル。人生においての一番大きな決断」と、後者を選んだ。

そこからタイトル獲得までには7年の時を要した。17年のリーグ初制覇は、現役生活一番の思い出。「15年間探していたのはこの景色。長かった。感無量です」と感慨に浸った。中村が40歳での引退を決めたのは、まだ優勝を経験していない35歳のときだった。36歳でMVP、37歳でリーグ優勝、38歳で連覇、39歳でルヴァン杯初制覇。引退会見では「終わりが決まったからこそ、それまでの苦労がうそのようにタイトルが手に入って、40歳での終着点が徐々に見えてきた」と振り返った。

昨年11月2日に左膝の前十字靱帯(じんたい)と外側半月板を損傷。全治約7カ月と診断され、ラストイヤーとなった今季はリハビリからのスタートとなったが、復帰戦で得点を決め、10月31日には初のバースデーゴールも決めた。11月25日のG大阪戦ではJ1最速Vを達成。「最高以外の言葉が浮かばない。こんな幸せな40歳でいいのかと思っています。みんなに感謝です」と喜びをかみしめた。

引退会見では「フロンターレから離れるつもりはないし、フロンターレだけをやるつもりもない」と話した。中村なら、日本サッカー界を引っ張り上げる存在になれるはずだ。【杉山理紗】