世界4強に挑戦する日本代表選手のルーツに迫る。「金髪の異端児」として期待を一身に浴びるMF本田圭佑(23=CSKAモスクワ)に夢を託す人物がいる。兄の弘幸さん(26)は、かつてアルゼンチン3部リーグでプレー。弟と一緒に日の丸を背負う夢を追ったが、かなわなかった。また、父司さん(50)の「パスよりゴール」という哲学も本田の心に響き、成長するきっかけとなった。

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Jリーグが発足した93年、伝説の「ケンカ番長」が大阪・摂津市にいた。最強の小学1年生。同学年の友達では物足りない。遊び相手は3学年上の兄弘幸さんとその友人たちだった。一緒に小学校のグラウンドでサッカーを楽しんだ。だが、思い通りにいかないと我慢できない。パスを出してくれない上級生にけんかを売った。

自分より身長で30センチも高い相手を圧倒した。連戦連勝。「本田圭佑」の名前は学校中に知れ渡った。FKをめぐって中村俊と対立したのは、その延長だったのかもしれない。だが、けんかで勝てない相手が、ただ1人いた。兄だ。暴力は決していけないこと。だが、父司さんは、あえてしからなかった。「何でも1番にならな意味ない。2番はべった(一番下)と同じや」と言い続けた。けんかでも、サッカーでも1番になることを求めた。

弘幸さん「弟は小さい時から負けず嫌いではっきり主張した。けんかも本当に強かった。祖母がよく、菓子折りを持って謝罪に行った。上級生に、けんかでもサッカーでも負けなかった。自分は同級生がやられてバツが悪かった。僕が弟をボコボコにしましたよ」。

「最強の兄弟」は94年にそろって地元の摂津FCへ入団した。サッカー選手として順調に成長。特に弟は関西選抜に選ばれ、小学6年からG大阪下部組織の練習に参加した。そして、その年に98年W杯フランス大会をテレビ観戦。フランス代表MFジダンに衝撃を受ける。「オレはジダンみたいにW杯で優勝し、ユベントスかRマドリードでプレーする。ああいう司令塔になる」と公言した。

だが、父から「アシストする選手が新聞で取り上げられるか。プロは注目されな意味ない。手っ取り早いのはゴールや。ジダンもゴール決めた時しか注目されんぞ」と言われた。「いや、オレはジダンみたいな華麗なパスを出す選手になる」と反論した。だが、心の底で「おやじの言っていることが正しいのでは」と葛藤(かっとう)があった。

兄は帝京高、弟はG大阪ジュニアユースへ。2人とも挫折する。兄は右ひざの前十字靱帯(じんたい)を断裂。弟は同ユースへ昇格できなかった。悔しさをバネに弟は星稜高で急成長する。名古屋に入団し欧州へ羽ばたいた。一方、兄はアルゼンチンに新天地を求め同3部のテンペレイでプレー。その後、大分入団が内定したが、古傷の右ひざ前十字靱帯を断裂。医師から「もうサッカーはできない」と言われ、夢を弟に託した。兄は今、サッカー選手の代理人業務を担うジャパン・スポーツ・プロモーション(JSP)に就職した。

弘幸さん「弟は欧州CLで底が見えた部分がある。インテルには通用しなかった。すべてにもっとレベルアップしないとビッグクラブへの移籍は実現しない」。

司さん「欧州へ行って圭佑も変わったでしょ。パスよりゴールにこだわるようになった。オレに言われ続けたことがやっと理解できたんちゃうかな。とにかくW杯で目立て。勝っても負けても一番、目立て。期待はそれだけです」。

厳しい言葉の裏に深い愛情がある。本田は、兄の思い、そして父の期待を背負い南アフリカのピッチに立つ。【奈島宏樹】