1972年度(昭47)から、高校サッカー選手権にテーマソングが誕生した。同年は、高校サッカーを描いた日本テレビ系ドラマ「飛び出せ!青春」の主題歌「太陽がくれた季節」(歌=青い三角定規)。翌年からの3年間は、歌詞を公募した「大地に顔をくっつけて」(歌=シーガルス)。そして首都圏開催となった76年度の第55回大会に向けては、阿久悠作詞、三木たかし作曲の「ふり向くな君は美しい」が書き下ろされた。45年たった今も、試合会場やテレビ中継で当時のままの音源が流れている。

歌っているのは、この曲で同年にデビューした「ザ・バーズ」。タレント養成所「日テレ音楽学院」の1期生で構成された、男性10人、女性32人のコーラスグループだ。曲はヒットし、ザ・バーズは国立競技場でパフォーマンスも披露した。ただ、レコーディングは選抜された15人ほどのメンバーで行ったという。グループの“センター”を務めた嵯峨聖子は、阿久氏が語った「曲に込めた思い」を覚えている。

嵯峨 阿久先生は「高校野球には栄冠をたたえる曲があるけど、サッカーにはないし、敗者をたたえる歌はもっとない。スポーツは勝った人が華やかに称賛されるだけでなく、負けた人もたたえられべき。戦いに対しての称賛を受けるべきだ」ということと、「何十年たっても、必ず後世に残る楽曲にしたい」とおっしゃっていました。何十年たっても取り上げていただけるのは、おふたりとも(亡くなって)遠いところに行かれたけど、喜んでいらっしゃるでしょう。

阿久氏は楽曲制作にあたり、当時の日テレ坂田信久プロデューサーに「高校サッカーの中継で一番大切なことは何ですか」と尋ねていた。坂田氏から「勝者は何を撮っても画になるが、敗者のいい画を撮ることです」と言われた阿久氏は、その思いを歌詞に乗せたのだった。

実は、もう1つ候補曲があった。「きらめきの日々」という、ハンカチの貸し借りから生まれる青春を歌ったさわやかなバラードだ。レコーディングの前段階では、どちらがテーマソングになるか決まっていなかった。

サザンオールスターズも使用する、ビクタースタジオの「401スタジオ」。レコーディングには、ピンク・レディーを世に送り出したディレクターの飯田久彦氏、「スター誕生!」の審査員を務めていたボイストレーナーの大本恭敬氏、そして作曲の三木氏が立ち会った。阿久氏は、自身が手がけた楽曲のレコーディングには参加しないポリシーを持っていたという。

天井からつるされたマイクを囲んで、パートごとに収録した。グループとはいえ日頃は個別にレッスンを受けていたザ・バーズにとって、みんなで何かを作り上げる経験は初めてだった。レコーディングを終えると、制作陣は若き歌い手に判断を委ねた。

嵯峨 先生方に「今2曲歌ったけど、どちらをA面にしたいか」と聞かれました。若干「ふり向くな~」が多かったかな。インパクトもあり、大正解だったと思います。私はどちらがいいなんて選べませんでしたが、みんな、泣きながら挙手をしていました。楽曲は高校生の青春賛歌だけど、それは(同年代の)自分たちへの賛歌でもありました。この楽曲と自分たちの青春が、イコールだったんでしょうね。

昨年、うれしい出来事があった。嵯峨は治療のため訪れた福岡市内の整骨院で、ある青年に声をかけられた。広島皆実高で第92回大会に出場した、アビスパ福岡のMF重広卓也たった。スタッフから嵯峨が来院中と聞き、出待ちしていたという。

嵯峨 「この歌で泣きました。つらいときも楽しいときも聞いていました」と。選手のみなさんが聞いて、プロになったりサッカーをしているんだと思うと、それも何十年もたってね。歌い継がれて、みんなが聞いてくださっているのは、すごくうれしいです。

10代の若者が涙とともに歌い上げた楽曲は、いつの時代も高校生の胸に響いている。【杉山理紗】(つづく)