横浜は29日、日本代表として東アジアE-1選手権に参加していたFW宮市亮(29)が右膝前十字靱帯(じんたい)を断裂したと発表した。

27日の韓国戦(3○0)で負傷したもので、近日中に手術を受ける。宮市は両膝の前十字靱帯断裂などの度重なる大けがを乗り越え、約10年ぶりに日本代表に復帰。W杯カタール大会(11月21日開幕)出場を目指していた中でのアクシデントだった。全治は不明だが、自らのSNSで「ラストチャンスと思って頑張りたい」と現役続行を誓った。

   ◇   ◇   ◇

カタール行きを目指した宮市が、残酷な現実を突きつけられた。「右膝前十字靱帯の再断裂」。サッカー人生に暗い影を落とす診断がまたしても下りた。27日のE1東アジア選手権韓国戦に後半14分から右ウイングで途中出場。ゴールライン際で相手選手と競り合った際に右膝付近を痛めて倒れ、プレーを続行できずに同33分に交代していた。

これで宮市は終わりなのか? 診断発表を受け、ツイッター上には悲痛な言葉が並んだ。だが一番ショックなはずの宮市自身があきらめていなかった。自らのインスタグラムを更新した。

「チームを離脱する期間も長く、迷惑もたくさんかけてきました。多くの人に失望もさせました。だから辞めようと思いました」。そう負傷直後の素直な心境をつづった。だが救ったのは、サッカー界の先輩や仲間からの「待ってる」「一緒に頑張ろう」とのメッセージだった。

「やっぱりサッカーがやりたい。これだけのけがに苦しんでもなお、自分はサッカーが大好き。そう気づかせてもらった。ラストチャンスと思って。そういう覚悟で頑張りたい」。そう決意の言葉を記した。

宮市は12年5月のアゼルバイジャン戦で19歳にして代表デビューしたが、そこからのキャリアは度重なる大けがとの闘いだ。天性の爆発的なスピードを持つゆえに、筋肉系のトラブルとは隣り合わせ。12年11月に右足首靱帯を損傷し、13年3月に手術を受けた。14年4月には左ハムストリングを損傷。15年7月に左前十字靱帯を断裂すると、17年6月には右膝前十字靱帯も断裂。両膝にメスを入れた。引退勧告も受けたが、それでも諦めずに歩くところからのリハビリにも取り組んだ。不屈の闘志で何度も立ち上がってきた。

そして今季、横浜での活躍が森保監督の目に留まった。12年以来、約10年ぶりの代表復帰を果たした。カタール行きという目標を持ち、臨んだ復活の舞台で再び引退が頭をよぎるほどの大けがを負った。手術を経て来季の復帰を目指すが、その道のりは今まで以上に厳しいものになるかもしれない。だが宮市は再び不死鳥のごとく、ピッチに戻ってくることを強く誓う。

「少しでも誰かのためになるのなら、今回は復帰までの道のりをたくさん公開していきたい」

W杯出場という道は閉ざされた。だが宮市は「戦列復帰」という人生を懸けた大きな闘いに、次は挑む。

<宮市の足跡>

▽10年12月 中京大中京高3年でアーセナルと5年契約

▽11年1月 オランダ1部フェイエノールトへ期限付き移籍

▽8月 アーセナル復帰

▽12年1月 ボルトンへ期限付き移籍

▽5月 アゼルバイジャン戦で日本代表デビュー

▽8月 ウィガンへ期限付き移籍

▽13年8月 アーセナルへ再復帰

▽14年8月 オランダ1部トウェンテ期限付き移籍

▽15年6月 ザンクトパウリへ完全移籍

▽7月 練習試合で左膝前十字靱帯を断裂し、手術

▽17年6月 右膝前十字靱帯を断裂し、手術

▽18年2月 練習復帰

▽5月 右膝再び負傷

▽20年6月には内転筋を損傷

▽21年7月 横浜に加入

▽22年7月 日本代表に10年ぶりに復帰

<宮市亮(みやいち・りょう)>

◆生まれ 1992年(平4)12月14日生まれ、愛知県出身。

◆プロ入り前 地元クラブでサッカーを始め、中学時代に年代別日本代表入り。09年のU-17W杯に出場。中京大中京2、3年時に高校選手権に出場して大会優秀選手を受賞。

◆プレースタイル 100メートル10秒84という陸上選手並みの俊足を生かしたドリブル突破が持ち味のサイドアタッカー。

◆名将が高評価 名将ベンゲル監督に高く評価され、Jリーグを経験せずプレミアリーグの名門アーセナルに18歳で加入。ただ英国の就労ビザ発行基準を満たしておらず、11年1月にオランダ1部フェイエノールトに期限付き移籍。

◆最年少ゴール 18歳2カ月で迎えた11年2月のオランダ1部ヘラクレス戦で当時の欧州主要リーグ日本人最年少得点となるプロ初ゴール。12年5月に日本代表デビュー。

◆度重なるけが 12年11月に右足首靱帯(じんたい)損傷。その後も両膝の前十字靱帯断裂などの大けがを繰り返した。昨年7月にJ1横浜に移籍。

◆最長ブランク 19日の香港戦で9年276日ぶりに代表戦出場。戦争による中断の影響を受けた選手を除くと史上最長の出場間隔だった。

◆家族 父達也さんは社会人野球のトヨタ自動車で活躍。弟剛はJ2岩手でプレーしている。

◆サイズ 183センチ、78キロ。

 

【医師に聞く】歩行はできるが失われると完全には戻らず、切れてしまうと完治困難/靱帯断裂とは