日本サッカー協会が2月27日に全日本空輸(ANA)とのメジャーパートナー契約締結を発表した。期間は2026年末まで。日本代表の国内外の遠征は基本的にANAを利用し、普及や育成の事業でも協力する。日本協会は昨年末まで日本航空(JAL)と日本代表チームのサポーティングカンパニー契約を結んでいた。赤から青への“乗り換え”はなぜ起きたのか-。サッカー記者歴約25年の盧載鎭(ノ・ゼジン)の不定期すぎるコラム「ぜじんが行く」で、解説する。

    ◇    ◇    ◇  

日本代表の翼は、JALからANAに変わった。日本代表をワールドカップなどで決戦の地まで送り届けた名物機長のフライトや、日本代表ラッピング(特別塗装)のJAL機ともお別れ。24年間、多方面でバックアップしてもらったが一時代の別れとなった。

なぜか-。

ストレートな理由は契約金。関係者の話を総合すると、JALが提示した年間スポンサー料2億円に対し、ANAは同3億円超を用意したようだ。しかし、この金額の違いだけで長年サポートを受けたJALをあっさり蹴るほど、日本協会は冷たくない。他に理由はあるのか。

実は、ANAが1億円超多く積んでも、日本協会に入るお金は従来と変わらないとされる。日本協会は、広告最大手電通と22年4月から30年3月までの8年総額350億円の大型契約を結んでおり、スポンサー企業の数にかかわらず、電通から年間約44億円のスポンサー料を得る。つまり、個別の契約金額の違いが、そのまま日本協会のスポンサー収入に直結するわけではないのだ。

従来は同業企業が競合する際には、電通が日本協会と協議し、日本協会の意向を多く反映させてスポンサーを決定してきた。しかし今回は、過去の慣例にとらわれず、公平性を最も重視した。JALとの交渉で上積みを狙う方法もあったが、両社の提示をイーブンの立場で評価した。公平性が叫ばれる時代。JALからANAへの移行は、時代の変化の表れともいえる。

ANAは長年、日本協会にラブコールを送り続けてきた。00年には水面下で、JALを上回る金額での契約の意向を日本協会側に打診していたが、当時は“結ばれなかった”。その後も05年に当時のANAの大橋洋治会長自ら、東京・文京区のJFAハウスを訪れて、極秘で交渉したこともあった。

もともと日本協会とANAには浅からぬ“縁”があった。05年当時の日本協会キャプテン(会長)は川淵三郎氏。Jリーグ初代チェアマンを務めた川淵キャプテンは、その7年前に横浜Fの消滅で企業イメージがダウンしたANAに対し“借り”があると思っていたという。財界の大物でもある大橋会長が足を運んだことで、日本協会内には「今度こそ」の空気があったとされる。最終的にはJALとの長年の縁を大事にして、この時も契約には至らなかった。

当時、日本代表は移動の際にチャーター機を使うことが多く、JALはこのチャーター機の予備機を4機保有していた。一方、ANAは予備機を持っていなかった点を指摘する関係者もいる。欧州への定期便もJALに比べて少なかった時代。しかし、現在ANAは、JALにひけを取らないほど欧州への路線が増え、国内移動便も充実している。

今後は「ANAカップ」など、新たな冠をつけた日本代表戦が組まれる可能性もあるかもしれない。ある日本協会の幹部は「日本協会のスポンサーになったことで、プロモーション料で5000万円+テレビCMで5000万円の計1億円で冠大会が開催できる。お互いにいい関係が継続できればいい」と話した。

サムライブルーと同じ青い翼で、ANAとともに「新しい景色」を目指すことになる。(金額は推定)

◆盧載鎭(ノ・ゼジン)1968年9月8日、ソウル生まれ。88年来日、96年入社と同時にサッカー担当。2年間は相撲担当。サッカーにかかわって26年目に突入。