ヴィッセル神戸が、悲願の初優勝を果たした。勝てば優勝の名古屋グランパス戦で前半12分にMF井出遥也(29)が先制、2分後にFW武藤嘉紀(31)が追加点。2-1で逃げ切った。2位横浜との勝ち点差が4となり、最終節を待たずに決めた。

タイトルは20年元日の天皇杯以来で、リーグは初。賞金3億円を獲得した。95年1月17日に阪神・淡路大震災に見舞われたクラブは、地元兵庫出身の吉田孝行監督(46)に導かれて、J参入27年目で、ついに頂点に立った。

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初優勝を告げる笛を聞いて、ガッツポーズとともにしゃがみこんだ。吉田監督は、スタッフに次々と抱きつかれた。三木谷会長と抱き合って、涙を浮かべた。

「現役最後から神戸で(関わって)14年。どんな思いって言われても難しいんですけど…。最高です」

待ち焦がれた悲願を、笑顔でシンプルに表現した。

勝てば優勝の名古屋戦。連動した守備から前半に2得点。最後は選手が体を張って死守。今季の戦いを象徴する勝利に「選手は最後の笛がなるまで全力で戦ってくれた」と感謝した。

信念を貫いた。FW出身らしくゴールにこだわる。細かいパスをつなぐ「バルサ化」を掲げてきたクラブで、ハイプレスから素早くゴールに迫る戦いを選択。「サッカーが体操のように採点競技で、パスを10本つないだら1点であれば、パスをつなぐことに特化するけど、そうではない」。

必要なのは走り続けられる選手。明確な基準があって、年俸が自身の50倍近くといわれる同20億円(推定)MFイニエスタを外した。5季で110試合に出た世界的名手が今季わずか4試合で夏に涙の退団。「クラブの王様」を外して勝てなければ、自身の進退に直結するが、ぶれなかった。

苦難に満ちたサッカー人生だった。兵庫・川西市で育ち、95年の阪神・淡路大震災で被災。日常生活がストップした。当時高3で「学校に行かないまま卒業した」。滝川二から横浜Fに入団。99年元日の天皇杯決勝では1-1の後半に決勝弾を決めた。「すべてをぶつけた」。だがその試合を最後に横浜Fは消滅した。その悲しみに比べれば、何があっても「別にチームがなくなるわけじゃない」と思い切ってプレーできた。

08年に加入した神戸でも辛酸をなめてきた。10年12月4日の最終節、浦和レッズ戦。敵地で2発を決めて「奇跡の残留」と呼ばれた。掛け値なしのヒーローだった。だがオフの契約更改で、J2降格だったら「クビ」の選択肢があった、と告げられた。「このクラブに未来はあるのか」とこぼした。

神戸で3度、監督に就任。すべてシーズン途中で解任された監督の後釜だった。「就任したいかどうかと言われれば、したくなかった。神戸愛。地元クラブに」。大物監督が来れば、その座を明け渡した。主役ではなく「中継ぎ」だった。

ただ3度目は違った。「結局、去るのは監督だけ。妥協できなかった」。昨夏には選手との考えが一致し、ハイプレスの戦術にスイッチ。「覚悟を決めた」。イニエスタの代役で夏に加入したMFマタは1試合出場のみ。欧州CLを2度も制した司令塔を使わないで、勝ち続けた。現実から逃げず、あらがい続け、強い監督に生まれ変わった。

J2降格で「クビ」もあった13年前。奇跡の残留を決めて「次に泣くのは、タイトルを取った時にしたい」と誓った。信念を貫いた先にあったクラブの新しい未来。初優勝に、男泣きした。【永田淳】

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吉田孝行(よしだ・たかゆき)

◆生まれ 1977年(昭52)3月14日。

◆出身 兵庫県川西市生まれ。

◆サッカー歴 滝川二から95年横浜F入り。

◆代表歴 U-17代表、U-20代表。

◆プロデビュー 95年4月8日、清水-横浜F(日本平)で、後半開始から出場。山口素弘、前園真聖、サンパイオ、ジーニョらとピッチに立ち、相手には永島昭浩がいた。後半6分には浮き球のパスで前田治の得点をアシスト。3-2での勝利に貢献した。

◆クラブ消滅 横浜Fがクラブ消滅となり、合併先の99年に横浜へ移籍。横浜F最後の試合となった99年元日の天皇杯決勝で1-1の後半に決勝点を決めた。

◆大分移籍 横浜での出場機会を減らし、00年途中にJ2大分へ移籍。02年にJ1昇格して05年は主将。

◆横浜復帰 6年ぶりに横浜へ戻り、06年から2季プレーした。

◆神戸加入 08年に地元兵庫の神戸加入。10年の最終節浦和戦では2ゴールを決めて「奇跡の残留」の立役者に。J2を戦った13年シーズン終了後に引退。

◆ほぼ毎年得点 95年のプロデビューから13年の引退まで、横浜F時代の97年をのぞく全シーズンでゴールを記録。J1通算356試合53得点、J2通算114試合33得点。

◆指導者 15年に神戸でコーチになり、17年に監督就任。19年には2度目の監督。20年にはJ2長崎でコーチ、21年監督。22年は強化部として戻っていた神戸で、3度目の監督就任。

◆趣味 釣り。

◆家族 妻と1女。