元サッカー日本代表監督でJリーグ浦和初代監督の森孝慈氏が17日午前9時21分、腎盂(じんう)がんのため東京・目黒区の病院で死去した。67歳だった。早大、三菱重工でMFとして活躍し、68年メキシコ五輪銅メダル獲得に貢献。監督として日本代表を86年W杯メキシコ大会アジア最終予選まで導いた。Jリーグ浦和の創設に尽力し、初代監督を務めるなど「レッズの父」としても知られる。

 早大時代に森さんと4年間を一緒に過ごした釜本邦茂氏(67)は、「大学や代表でプレーした。楽しさや喜びも一緒。思い出はたくさんある」と、盟友の早すぎる訃報に肩を落とした。

 「一番の思い出は大学4年の天皇杯やな」という。67年1月1日、早大は東洋工業(現広島)を延長の末、3-2で破って優勝した。これは今でも語り継がれる大学生の最後の同大会優勝になった。大学選手権終了直後の試合で全員が疲労困憊(こんぱい)。「みんなで勝つための作戦を考えた。オレとあいつ(森氏)が中盤にいてパスを出す。後ろの5人で守って、前の4人の1、2年生が走りまくったなあ」と懐かしそうに振り返った。

 社会人になってからはライバルとしてもしのぎを削った。「ヤンマーと三菱で一番のライバルやったわ」。サッカー人生を一緒に歩んできた掛け替えのない友の死に直面し、釜本氏の心にぽっかりと穴が開いたようだった。