14日(日本時間15日)の準決勝で対戦するフランスFWオリビエ・ジルー(36)とモロッコのワリド・レグラギ監督(47)は、かつてフランス1部のグルノーブルでともに戦っていた。当時チームのGMは祖母井秀隆氏(71=淑徳大客員教授)。「組み合わせを見たとき、モロッコがフランスと当たったらすごいなと思っていたんですよ。それが本当になった」と喜んでいる。

元日本代表のイビチャ・オシム氏が監督だったジェフ市原でGMを務めた祖母井氏は退任後、フランスに渡り07年からグルノーブルのGMに就任した。同チームが45年ぶりに1部昇格を決めた年だった。

2部で3位になった監督を解任し、オシム氏の教え子のメフメド・バジュダレビッチ監督を招へい。1部で戦うための補強で、当時右サイドバックとして活躍していたレグラギ監督を獲得した。「当時、グルノーブルはサッカーよりスキーの町で、『えっ? グルノーブル?』という感じ。それでも、当時ジダン2世とか言われる選手もいて、チームに興味を持ってくれた」という。

レグラギ監督のプレーを「足は速くなかったが、頑張り屋でインテリジェンスのある人間的に立派な選手だった。まさか監督になるとは思わなかった」と祖母井氏は述懐する。グルノーブルには北アフリカ出身者が多く、そこに住む子どもたちのサポートも積極的にしていたという。レグラギ監督ら守備陣の頑張りで、チームは昇格1年目に13位で残留を果たしている。

ジルーは、ユースからトップに上がったばかりのFW。「プレー中に髪やパンツばかり気にしていて、監督から『なんだ、あいつは』とにらまれていた」という。チームでの出番が少なかったため、本人の将来を考えた祖母井氏がレンタルでトゥールに移籍させた。そして、10年に移籍したモンペリエで頭角を現し、一気にトップ選手に駆け上がった。「人間的にはすごくやさしくて、すばらしい性格の持ち主だった」と祖母井氏はいう。

チーム在任期間は4年だったが、フランスの小さなクラブで出会った2人の選手が、監督、選手としてW杯で戦う。5日未明の準決勝を祖母井氏は格別の思いで見守る。【桝田朗】

 

◆祖母井秀隆(うばがい・ひでたか)1951年(昭26)9月2日生まれ、兵庫県神戸市出身。大阪体育大から読売サッカークラブ。退団後ドイツに渡り、ケルン体育大でコーチングを学ぶ。95年からジェフ千葉の育成部長、GMに就任し、ベルデニック、オシムら名監督を招聘(しょうへい)し、クラブの黄金期を築く。06年に退任し、07年からフランス1部グルノーブルGMを務めた。10年に京都GM。16年から淑徳大客員教授でサッカー部監督も務める。