欧州にはまだまだハリルジャパン候補が埋もれている。トルコリーグ1部オスマンリスポルMF瀬戸貴幸(29)がインタビューに応じた。Jリーグ経験がないまま渡ったルーマニア1部アストラで8年プレー。昨季初出場した欧州リーグでは、ゴールを決めるなど活躍が認められ、今夏トルコへ移籍した。身長182センチで泥臭い守備から攻撃もできる大型ボランチ。18年W杯ロシア大会出場を目指し、欧州で奮闘する選手を紹介する。

 欧州の東端にあるバルカン半島と、アジアが交わる地・トルコ。最大都市イスタンブールからおよそ500キロ離れた首都アンカラにあるホテルの一室で、瀬戸は契約合意を待ち続けた。急きょ浮上したトルコリーグ1部オスマンリスポルへの移籍に、持ち込んだのはルーマニアからスーツケース1つ。中にはスパイクと、最低限生活ができる荷物だけ。一時難航していた移籍金交渉がまとまり、新天地が決まった。

 瀬戸 アストラに残れば、今季も欧州リーグに出場できたかもしれない。それは残念だけど、トルコでスナイダーやポドルスキがいるガラタサライや、ファンペルシー、ナニが加入したフェネルバフチェ、ベシクタシュと対戦できるのは、自分にとって大きい。

 新たな挑戦の場にスーツケース1つで踏み入れたのは8年前も一緒だった。海外でのプロ入りを模索した07年夏。知り合いを通じて当時ルーマニア3部アストラのトライアウト話が舞い込んだ。すぐに単身渡欧。訳も分からぬまま、開幕前のキャンプに同行した。約2週間のテストではゴールでアピールするためにFWでプレー。キャンプ終了後、クラブから契約を伝えられたが現実は厳しかった。

 瀬戸 もちろんうれしかったけど、イメージしていたユニホームを持って記者会見とか、給料、とはまったく違いました(笑い)。

 最初の給料は月約2万円。3食付きの寮で、わずかな勝利給で生活するのがやっと。1年ごとに昇格し2年後には1部。そのたびに条件も上がった。ポジションもFWからサイド、今はボランチ。全体を見ながらバランスを保ちスペースをうめる役回りに、生き抜く活路を見いだした。

 活躍が目に留まり、アジア枠のある中東クラブから破格の条件で誘いを受けた。2年前にカタールのクラブから移籍金1億5000万円、年俸は3年2億。多額の移籍金を得るために「行け」というオーナーともめ、露骨に出場機会を減らされたが、欧州にこだわった。

 瀬戸 中東に行けば給料はいいかもしれないけど、欧州リーグのような経験はできない。そこに楽しさを感じる。レベルの高い欧州の主要リーグに移籍したかったけど、具体的な話はなかった。日本でのプレーも、今は考えられない。

 今夏も興味を示したJ1クラブがあったがトルコを選んだ。その先に「日本代表」を見据える。12年10月、当時ザックジャパンのスタッフがルーマニアまで視察に訪れた。「ずっと追っているから頑張ってくれ」と言われた。ハリルホジッチ監督も「ルーマニアにいい選手がいることは知っている」と言っている。ルーマニアやトルコ、日本人未開の地にいても孤独感はない。

 瀬戸 あともう少しのところにきているんだなと。でも力としては、まだまだ。Jでの経験もないし代表もない。実際に代表選手がどんなプレーをするのか分からない。けど、チームで結果を残せばチャンスはくると思っている。欧州で活躍すれば(代表監督に)情報は入ると思う。そういう積み重ね。そうやって、自分のモチベーションも上げている。

 オスマンリスポルに合流から1週間もたたず、16日開幕戦カイセリスポル戦に途中出場した。「プレーのスピードも違うし、激しさも増す感じ。ここからどんどん出場機会を増やしていきたい」。24日には強豪ガラタサライ戦。新たな刺激を求めた異国の地で、日の丸を背負う糧にする。【取材、構成=栗田成芳】

 ◆瀬戸貴幸(せと・たかゆき)1986年(昭61)2月5日、名古屋市生まれ。小学校時代は名古屋FCでプレーし全国3位。宝神中-熱田高と進学。高校卒業後、ブラジル留学しコリンチャンスなどで練習参加。帰国後はフットサルの愛知ニューウェーブスでプレー。07年夏に当時ルーマニア3部のアストラへ入団。翌年2部へ昇格すると2年で1部へ。13-14年に国内カップ戦優勝、リーグ2位。昨季は欧州リーグに初出場し、ザルツブルク戦でゴールを決めた。182センチ、71キロ。

 ◆トルコ1部リーグ 1959年創設。18チームによる総当たりのホームアンドアウェー方式で行われる。優勝チームには欧州チャンピオンズリーグ(CL)本戦の1次リーグ出場権、2位には同大会プレーオフ出場権、3位には欧州リーグ出場権がそれぞれ与えられる。下位3クラブは自動降格となる。最多優勝回数はガラタサライの20度。2位はフェネルバフチェの19度、3位はベシクタシュの13度。