今夏にFC東京からロシア・プレミアリーグのロストフに完全移籍した日本代表MF橋本拳人(27)がこのほど、クラブを通じてオンライン取材に応じた。

8月8日に新天地デビューし、2得点を記録するなど、加入後すぐに存在感を増している。18年ワールドカップ(W杯)ロシア大会で日本にゆかりある土地となったロストフナドヌで始まった自身初の海外生活や、海を渡ったことで見えた自身の現在地などについて語った。

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借りた家の壁には、日本-ベルギーの記念タオルマフラーが飾られていた。18年W杯ロシア大会で両国が激闘を繰り広げた地、ロストフナドヌ。あれから約2年がたち、橋本は同じスタジアムのピッチに立った。「あんなにでかいスタジアムが超満員になっていたと思うと、すごい雰囲気だったんだろうね」。新型コロナウイルスの影響で、現在はホーム側のサポーターだけが観戦できる。

8月8日にロシアデビューした場所はサランスク。日本が1次リーグでコロンビアから金星を挙げたスタジアムだった。W杯での日本代表の足跡をたどるような巡り合わせとなったデビューを終えると、同23日のウファ戦で初先発。初シュートとなったヘディングが初ゴールになった。同26日のウラル戦では2試合連続となる決勝点を奪い、一気に存在感を増した。

順調な滑り出しとなった一方で、現地入り後はあっけにとられることもあった。手違いがあったのか借りる家が確保できておらず、約3週間、クラブハウスで寝泊まりした。またあるアウェーの試合の当日に、遠征に帯同していた主将が突然移籍が決まって退団した。その後、トレードの形で入団した選手が、合流当日の試合でベンチ入りした。「日本なら、移籍するときはお別れ会とか、みんなの前で話したりとかあるけど、そんなの一切ない。自分は満を持してここにきたけど、向こうからしたら『ああ、来たの?』くらいのこと」。ドライでめまぐるしい選手の出入り。感傷的になる時間はない。

入団して約1カ月。すでに「新しいプレースタイルを確立する必要を感じている」という。初めての個人ミーティングで強く言われたのは「トラップしてパスじゃなく、多少アバウトでもいいから前の選手にワンタッチでつなげ」だった。強引にすら思えるほど前を狙う戦術。東京では持ち味の守備でボールを奪い、確実につなぐのが仕事だった。今は1つ前のインサイドハーフ。プレーのスピード感は、Jリーグになかったものだった。

「ボールを奪うのが1番の武器だけど、ここではチャンスを作るプレーも必要。それは今まで自分ができなかったこと。厳しい位置でボールを受けてターンして、パスを出すとか、タッチも細かいところまでこだわったりとか」

これこそ日本を飛び出した理由だ。「心の底からきてよかったと思う。壁をつきつけられるたびに『これを求めてた』と思える」。強みにしていた球際すらも、逆に課題に思えた。「とにかくみんな体がでかい。勝てると思っても勝てないこともある。たとえばコーナーキックでのマークの競り合いは激痛で身動きがとれないこともある」。ここでもまれた先に、進化した自分がいると信じている。

最大の目標は22年W杯カタール大会。英語すらほぼ通じず、言いたいことも満足に伝えられない新天地で、まっさらな気持ちで前に進む。「東京ではこうだった、自分はこういう選手だという自負もすべて捨てた。1年後、どうなっているか想像ができない。楽しみでしかない」。ストレスすらも力に変え、新しい自分を追い求める。【岡崎悠利】

 

◆橋本拳人(はしもと・けんと)1993年(平5)8月16日、東京都生まれ。東京U-15(15歳以下)深川、同U-18を経て12年にトップ昇格。13年にJ2熊本に期限付き移籍し15年に復帰。19年3月に日本代表に追加招集の形で初選出され、同26日のボリビア戦(ノエスタ)で初先発。国際Aマッチ7試合出場。同年のJ1で通算100試合出場を達成。7月にロシア・プレミアリーグのロストフに完全移籍。183センチ、76キロ。血液型はO。

 

◆ロシア・プレミアリーグと日本人選手 橋本を含め、過去に同リーグでプレーした日本人選手は6人。MF本田圭佑(34)が10~13年度に、MF西村拓真(23)が18-19年にそれぞれ強豪CSKAモスクワに所属した。本田は12年度シーズンで優勝を経験しており、クラブ通算94試合20得点を記録した。西村は17試合2得点。今年1月にポルティモネンセ、同3月から現在はJ1仙台にレンタル移籍となっている。他にFW松井大輔がトム・トムスク、FW巻誠一郎がアムカル・ペルミでそれぞれ10年に、MF赤星貴文がウファで14年にそれぞれプレーした。