<世界陸上>◇23日◇女子マラソン◇ベルリン・ブランデンブルク門発着(42・195キロ)

 【ベルリン=佐々木一郎】日本女子マラソン界に、28歳の遅咲きの救世主が現れた。女子マラソンで尾崎好美(第一生命)が、2時間25分25秒で銀メダルを獲得した。40キロすぎからの白雪(中国)とのマッチレースに屈し、日本女子12年ぶりの金メダルは逃したが、指導を受ける91年東京大会銀メダリストの山下佐知子監督と同じ2位でゴール。高橋尚子さんの引退、野口みずきの故障離脱、北京五輪の惨敗と苦難が続いた日本女子マラソン界に光をともした。

 ブランデンブルク門の前で、尾崎が日の丸を初々しく羽織った。「ここで金を取っちゃったら、調子に乗りそうです。まだまだやれってことだと思います」。91年大会で山下監督が日本女子で初めて獲得したメダルと同じ「銀」。「超えられなかったのは残念ですけど、追いつけました」。グッと抱き合い「よかったね」と頭をなでられた。

 世界記録保持者ラドクリフら欠場が相次ぎ、本命不在の42・195キロはスローペースで始まった。4月に腰を痛めて約1カ月走れず、スピード対応に不安があった尾崎には、この展開がはまった。中間点まで20人を超える大集団。28キロでレースが動き、30キロすぎに4人、40キロからは白雪とのマッチレースになった。

 「30キロまでは、余裕をもって行けました。そこからメダルを意識し始めました。周りも苦しそうだったので、自分で行ってみようと前に出たんですが、最後は力尽きました」。白雪に41キロで突き放された。金は逃したが、日本女子マラソン界を救う、大きなメダルを手に入れた。

 地道に陸上人生を歩んできた。神奈川・相洋高時代は全国大会の経験なし。先生の紹介もあって、00年に第一生命に入社した。風邪をひきやすく、疲労骨折も繰り返した。その分、じっくり体をつくってきた。山下監督は「我慢強い性格。おとなしくて、存在感がないから、結果を出すしか気を引いてもらえないんですよね」。初マラソンまで8年かかった。

 96年アトランタ五輪銅の有森裕子さんを見て、マラソンにあこがれた。米コロラド州ボルダーの合宿中だった3年前の8月、有森さんの家で、経験談を聞いた。「有森さんは、自己管理を我慢と思ったことがないそうです。強くなるには当たり前のことで、気持ちの持ち方が違うと思いました」。そして最後に、こう言われた。「監督についていけば大丈夫だよ」。

 2年前の世界選手権は、土佐礼子の銅メダルに感動し、粘る大事さを痛感した。今大会前はボルダーで取材を受けた高橋尚子さんの家で、酸素カプセルを借りて体力を回復した。大会直前には、テレビ局の企画で山下監督の銀メダルを初めて見て「言葉を失った」。脈々と受け継がれる日本女子マラソン界のエキスを、知らずのうちに尾崎は吸収していた。

 レース3日前、山下監督への誕生日に、チームメートとの寄せ書きを手渡した。尾崎はこう書いた。「こんな歩みののろい、カメのような私を拾ってくれてありがとうございます。今回はこういう形でお祝いできて、うれしいです。いい結果を出して、また祝いたいです」。メダリストが育てたメダリストは、北京五輪惨敗の悪い流れを断ち切った。そして、18年前の色あせかけたメダルさえ、きらりと輝かせた。