プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月3日付紙面を振り返ります。2015年の1面(東京版)は箱根駅伝で初の往路優勝を達成した青学大でした。

 ◇ ◇ ◇

<第91回箱根駅伝>◇往路◇2日◇東京・大手町~箱根・箱根町芦ノ湖畔(107・5キロ)◇5区間◇出場21チーム◇晴れ、気温3・3度、湿度44%、無風(午前8時スタート時)

 新たな「山の神」の降臨で、箱根に新時代が到来した! 

 20回目出場の青学大が、2位の明大に4分59秒の大差をつける5時間23分58秒で圧倒。初の往路優勝を達成した。とりわけ5区の神野大地(3年)は1時間16分15秒の驚異のタイムをマーク。5区の距離がコース変更されたため単純比較はできないが、12年に東洋大・柏原竜二(現富士通)が樹立した1時間16分39秒を超えた。今日3日の復路に、初の総合優勝を懸ける。

 視線の先に、泣きじゃくる母の姿があった。その先にいた兄は「神野大地」の旗を持ち何か叫んでいる。最後の父も絶叫していた。18キロ過ぎ、標高874メートルに達する最高地点。正念場の神野の苦しみは、50メートル置きに立つ家族の力が軽減させてくれた。返礼は左手のガッツポーズだ。

 背後からも「神の声」が飛ぶ。「20秒速いぞ」という監督車から発せられる原監督のゲキだ。3年前に柏原が樹立した区間記録(参考記録)のラップを上回っていた。「残りは死ぬ気で走った」先にフィニッシュテープ。43キロの軽量を思い切りぶつけた。

 あの「新山の神」柏原を事実上、超えた。原監督は良くて1時間17分30秒を想定。神野自身は1時間18分30秒を設定し序盤は自重するはずだった。だが思った以上に体が動く。スタート時に46秒差あった駒大・馬場を10・4キロ付近でとらえ「明らかに行ける」とGOサインを出し、一気に引き離した。

 レース前夜に欠かさぬ儀式がある。「区間賞で往路優勝」と祈りをささげた。朝食のメニューには験担ぎで串団子3本も入れた。準備万全。ところが出走直前の招集所でハプニングが起こる。コールされた名前は「ジンノ」…。「まじかよ訂正しないのか…」。こうなれば力走で「カミノ」をアピールするしかない。発奮材料にもなった。

 陸上を始めた中学時代は当時駒大の宇賀地(現コニカミノルタ)の走りに憧れ駒大志望。だが高校時代は、3年時の高校総体5000メートル敗退が唯一の全国舞台だった。青学大入学直前の合宿で久保田らと「4年生で3冠を取ろう」と約束。その入学時は30キロ台で今も軽量だが「神野は陸上が人生の全ての模範生」と原監督が話すように、頑丈な体を作り上げた。合宿所の応接室を改造したストレッチルームで、いの一番に汗を流すのが神野だ。

 「自分は勉強が出来ない。陸上が出来なくなったら人生が終わる。人生のために走っているんです」。いちずな男が、箱根で山の神になった。将来の夢は20年東京五輪。また1人、日本マラソン界に頼もしい男が希望の星となって現れた。

※記録と表記は当時のもの