戒められた通り、東洋大入学後は苦しかった。記録は伸びず、けがにも泣く。14、15年と2年連続で日本代表すら逃した。16年リオ五輪に出場したが、日本勢の男子100メートルでただ1人、準決勝に進めなかった。今夏の世界選手権も個人種目での出場を逃した。日本を引っ張る存在のはずが、群雄割拠の中に埋もれていた。「東洋大で100メートルを走る最後にこんなタイムを出せてうれしい」。4年間を費やして100分の3秒を縮め、感慨にふけった。

 9秒台には先人たちの積み重ねがある。日本人の骨盤はアフリカ系と異なり後ろに傾く。足を上げると足が高く上がりすぎる。桐生は上半身を前傾させ、骨盤も前傾させた状態に保ってロスを減らす。伊東浩司ら先人が追求した日本人に適した走法を極めた。朝原宣治の思いも世代を超えて受け継ぐ。朝原は01年世界選手権100メートル準決勝で敗れた。ホテルに戻ると「もっと(相手を)なめておけばよかった」と後悔した。おごっていたのではなく、メンタル面で力を出し切れなかったことを悔やんだ。その時、同部屋だったのが現在は桐生を指導する東洋大の土江コーチ。「印象に残っているんですよね」(同コーチ)。相手をのんでかかるぐらいでないといけない。その教訓を桐生は何度も伝えられた。

 今年の日本選手権は4位に沈み、号泣。その後1週間、グラウンドに出ても何もできなかったが、真夏の日差しの中、1日70本の50メートル走で吹っ切れた。最大目標は東京五輪決勝進出。「世界のスタートラインに立つことができた」。9秒台を通過点にする。【上田悠太】