順大の10区花沢賢人(4年)の悔しくて楽しい、最初で最後の箱根が終わった。2年時に国指定の難病「強直性脊椎炎(きょうちょくせいせきついえん)」にかかり、激しい腰痛と闘いながら競技を続けてきた。悲願の初出場。11位でたすきを受けて10位の中央学院大を猛追したが14秒届かず、チームは3年ぶりにシード権を失った。東京国際大の30歳ルーキー渡辺和也(1年)は7区を走り、区間7位で箱根デビューを果たした。

 シード権がかかった最終10区。花沢はチームのため、仲間のためにペースを上げた。たすきを受けた時の1分4秒差をジリジリと詰めたが、中央学院大に14秒差で逃げ切られた。「追いつけなかった。みんなに申し訳ない」とうつむいたが、すぐに顔を上げ「とても楽しかったです」。目が赤く潤んでいた。

 5000メートル高校ランク3位のタイムを持ち、千葉・八千代松陰高から鳴り物入りで入学した。1年時の全日本2区でデビュー。箱根では1区を任されたが、当日の発熱で出場断念。以来、花沢の名が順大のオーダーから消えた。激しい腰痛に悩まされ、2度目の箱根の直前に「強直性脊椎炎」の診断。脊椎が一直線に固まる難病で、症状は手足の関節に及ぶこともある。

 長門監督が振り返る。「競技をやめると思ったが…。同じ病気の人たちの支えにと、病名の公表も申し出てきました」。入念なストレッチと服薬で競技続行。病気になったことで自分中心だった性格が、周囲に目配りできるようになった。昨年6月の全日本予選では教育実習を取りやめて出場権獲得に貢献した。

 「ゴールで花沢を、先輩を迎えたい」。チームに自然発生した声に押され、長門監督は花沢の起用を決断した。23キロの距離は不安だったが、起伏がないコースならば10区しかない。9区中村から託されたたすきを、ゴールで待っていた栃木主将に。メンバー3人だけの4年生の“友情リレー”だった。「花沢が最後まで攻める走りを見せてくれた」と栃木も目を赤くした。

 シード権は失った。しかし、花沢の区間11位、1時間13分2秒の走りはチームの財産になった。【小堀泰男】

 ◆花沢賢人(はなざわ・けんと)1996年(平8)1月18日、千葉・船橋市生まれ。飯山満中1年で陸上を始め、箱根駅伝に憧れる。順大入学後は病気以外に両足すねの疲労骨折にも苦しんできた。自己ベストは2年時にマークした5000メートル13分57秒40、1万メートル28分49秒96。卒業後は長門監督が現役時代に在籍したJR東日本で競技を続ける。165センチ、49キロ。