初マラソンの鈴木亜由子(26=日本郵政グループ)が2時間28分32秒で優勝し、20年東京オリンピック(五輪)の代表2枠を決めるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)出場権をつかんだ。春先に右足甲を痛め、出場は周囲の反対を押し切っての決断だった。16年リオデジャネイロ五輪には5000メートル、1万メートルで出場したが、2年後はマラソン代表も視野に入った。男子は34歳の岡本直己(中国電力)が初優勝した。

両手を広げ飛び込んだゴールの先に、進むべき道が開けていた。鈴木が北の都でMGC出場権をがっちり手にした。紅潮した顔に笑みを浮かべながら「ラスト10キロあたりでマラソン特有の苦しさを感じたが、しっかりゴールを目指して走った。目標はMGCだったので、それが達成できてホッとしている」と話した。

クレバーな走りが勝利を呼び込んだ。12キロ付近で谷本がペースメーカーの前に出てぐんぐんと差を広げたが、慌てなかった。「前半は力を温存して冷静に走ろう」。ペースメーカーがいなくなった25キロ過ぎからが勝負。154センチの小柄な体を躍動させ30キロ通過で34秒あった差を、32・9キロまでのたった約3キロで一気に縮め、並ぶ間もなく谷本を抜き去った。もう誰も追えない。初マラソンらしからぬ緻密な走りは、2年後を思わせるには十分だった。陸連の山下佐知子五輪強化コーチは「メダル候補として考えている」と評価した。

自らの意思で道を決めた。17年の世界選手権後、「世界と勝負したい」とマラソン挑戦を視野に入れた。だが調整が進まず大会を定められなかった。今大会も春先に右足甲を痛め、高橋昌彦監督らは出場回避を勧めた。3~4日説得したものの首を縦には振らなかった。日本選手権後、正式に出場を決断。「夏にマラソンを経験しておきたい」。2年後への可能性を探るため、確固たるビジョンがあった。

そこから約2カ月、濃密な時間を過ごした。7月下旬からの米国ボルダー合宿では約1カ月で35キロ以上長距離走を7本こなし、負荷をかけた。専属トレーナーをつけ体のケアも怠らない。疲労がピークに達しても「ここを乗り切らないと本番も走れない」とマラソンと向き合ってきた。

女子マラソン界は突出した選手がおらず、群雄割拠の時代にある。そこへトラックの女王が“超新星”として名乗りを上げた。「今日が第1歩。東京に向けて自分の可能性が広がった。1歩1歩前進して行けたら」。2年後へ力強く歩を進めていく。【松末守司】

◆初マラソンで初優勝した主な女子選手 今年1月の大阪国際で松田瑞生が達成。その大阪国際では92年小鴨由水、01年渋井陽子も記録。名古屋ウィメンズでは96年真木和、02年野口みずき、08年中村友梨香、09年森永佳子が名前を刻んだ。

◆鈴木亜由子(すずき・あゆこ)1991年(平3)10月8日、愛知県生まれ。時習館高-名古屋大から14年春に日本郵政グループ女子陸上部創部メンバー。13年ユニバーシアード1万メートル金。15、17年世界選手権代表。実家は「鈴木米穀店」。154センチ、38キロ。