【ドーハ=上田悠太】過酷なレースを笑顔で駆け抜けた。谷本観月(24=天満屋)が2時間38分28秒で7位に入った。

目前の代表になることを優先し、20年東京オリンピック(五輪)の代表選考会「マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)」を辞退して挑んだ舞台で、今後の可能性を感じさせる走りを披露した。日本勢の入賞は15年の北京大会の伊藤舞の7位以来2大会ぶり。中野円花(28=ノーリツ)は2時間42分39秒で11位、池満綾乃(28=鹿児島銀行)は途中棄権だった。

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まだまだ走れそうな元気いっぱいにフィニッシュラインを駆け抜けた。谷本は待ち構えるカメラマンの前で誇らしげに日の丸を広げた。「目標の入賞をクリアできた。自分の持ち味である粘りを出せてよかった。靴もビチャビチャになって気持ち悪かったけど、焦らずに走ることができました」。笑顔が絶えなかった。

レースはかつてない消耗戦だった。深夜23時59分の号砲でも気温は約32度、海沿いで湿度も約74%だった。68人がスタートラインに立ったが、途中棄権は28人。完走率が60%を割ったのは大会史上初でルース・チェプンゲティッチ(ケニア)の優勝タイム2時間32分43秒は歴代最遅記録を2分以上更新。それが何より過酷さを物語った。武冨コーチも「2度とこういうレースは走らせたくない。昼やっていたら死人が出たのでは」と言うほどだった。

その多難な戦いに“日本らしい”組織と知恵で立ち向かった。日本の3人は15キロすぎまで集団で走り、先頭を交代しながら、体力消耗を抑えた。個では劣ると認めた上で、チームで団結。序盤のペースは1キロ3分48秒が目標と遅く設定し、谷本も8キロ地点で43位。その慎重な入りが、中盤以降のごぼう抜きを生んだ。

谷本自身も昨夜、ユニホームの背中や胸元、ゼッケンなどに穴を空け、通気性を高める工夫を凝らした。給水ではボトルに冷却タオルを巻き付け、汗を拭き、体温上昇を抑えた。深夜号砲に合わせ、当日は朝練習を終え、午後は「ずっと寝てました」とホテルで約3時間半の昼寝。緻密な作戦と対策で前評判を覆した。

大会前はMGCで東京五輪代表を勝ち取ったチームメートの前田、3位だった小原と一緒に米国で高地合宿を積んだ。前田からドーハへ向かう前は「大丈夫です」とハグをして送り出され、前日も「頑張ってください」と連絡をもらった。現地で応援したMGCに出なかった後悔はない。代表の誇りを胸に戦い、結果を残し、大きな自信を得た。