8位に沈んでいた青学大が9区(23・1キロ、戸塚~鶴見)の前半で3位まで浮上した。当日変更で入ったエース岸本大紀(4年=新潟・三条)が、9区では歴代1位タイとなる、順位を5つ上げる快走を見せた。昨年の平林清澄(当時1年)の記録に並んだ。1時間7分27秒は歴代2位の記録だった。

「まず区間賞を取ることができて自分の仕事を果たすことができて良かったんですが、同期の、中村唯翔の昨年の記録を超す、という目標があったのでジワジワ悔しい気持ちがこみ上げてきています。その唯翔が今回、付き添いとしてサポートに回ってくれて『絶対に区間新を出さなきゃダメだぞ』と言ってくれたんですが、後半、バテてしまって、なかなか悔しい結果になりました。それでも、ここまでの区間の選手が力を発揮してくれて、特に田中悠登(2年=福井・敦賀気比)がいい位置で持ってきてくれたので、いっぱい越す状況をつくってくれたので、みんな越してやろうと思って走りました」

そう振り返った通り、8区を終えて国学院大、早稲田大(早大)、法政大(法大)、順天堂大(順大)、創価大が3位争いの一団を形成していた中、岸本は7位と42秒差で出た。最初からギアを入れて集団に追いつくと、8・35キロ地点で一気に5人を抜き去った。

岸本は20年にスーパー1年生として「花の2区」で6人抜き。昨年の3年時は7区で区間賞を獲得して総合優勝に貢献した。

道中、主将の宮坂大器(4年=埼玉栄)から給水を受けた場面では激励に何か言葉を発して応えた。4年間、箱根路を走ることはできなかったキャプテンからは大会の前に感謝もされていた。

宮坂は「岸本とか、あまり普段は積極的に発言するタイプではないけれど(全日本の後)『下級生の刺激が足りない』と、厳しい言葉を冷静に投げてくれた。下級生にしみる部分もあったと思う。そこが一番印象に残った」と振り返る。

そう後輩の成長を促した一方、自身は初の9区で順位を8位から3位まで上げて走りでチームを救った。終盤、運営管理車の原晋監督から「区間記録より6秒くらい速いよ。しっかり区間新を出してから、卒業しような。去年の(中村)唯翔の記録を塗り替えような」と声をかけられ、ペースを上げた。区間新には12秒届かなかったが、歴代で2位。自身2度目の区間記録に輝き、ラスト箱根を締めくくった。

「本来であれば往路の主要区間を走るべきだったと思いますが、この半年間、うまくいかず、たくさん迷惑をかけました。でも最後は応援されて、仕事を果たすことができて良かったのかなと思います」

卒業後はGMOインターネットグループへの就職内定が昨年10月に発表されている。

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