【ブダペスト=藤塚大輔】日本勢初の2大会連続決勝進出を遂げたサニブラウン・ハキーム(24=東レ)が10秒04で6位入賞した。

前回の7位から1つ順位アップ。五輪を含めた世界大会の日本人同種目最高位、1932年ロサンゼルス・オリンピック(五輪)6位で「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳の記録に91年ぶりに肩を並べた。準決勝で自己ベストタイの9秒97(追い風0・3メートル)をマークし、来夏のパリ五輪参加標準記録の10秒00を突破。初の五輪100メートル代表入りに向けても前進した。

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 人類最速決定戦へ、サニブラウンが舞い戻った。そのスタートラインに立てるのは、たった8人。前回王者カーリー(米国)が準決勝で散った中、2大会連続で名を連ねた。西日が差すスタジアムを熱気が包む。観衆を沸騰させる10秒弱を前に、ふっと深呼吸した。

「去年よりも、ものすごく余裕を持って決勝に挑めた」。号砲が静寂を破る。スタートの反応速度こそ7位で前半は出遅れるも、前だけ見た。鼓膜に伝わる振動を確かに感じ、ゴールラインへ。6位。1年前より順位を1つ上げたが、顔をしかめ、トラックにしゃがみ込んだ。準決勝の力強い伸びを再現できなかった。

「いやーマジで悔しいですね。全く満足できない。今年の方がメダルに近い感覚だった。マジで悔しい」

胸を占めたのは、昨夏よりも強い悔恨。その湧き上がる感情に変化があった。

2年前の夏。東京五輪では3カ所のヘルニアに苦しんでいた。200メートルで予選敗退。自国で、組の最下位に沈んだ。「もはやジョギングぐらいの遅さでしたね」。ふがいなさで、自らを見つめ直す。故障を防ぐため管理栄養士をつけた。ベッドも可動式に変更。「チャレンジして、失敗して『さあ、どうする』を繰り返す」道を突き進んできた。

1年前の夏。試行錯誤が世界選手権で結実した。日本人初の決勝進出で7位入賞。ただ「いっぱいいっぱい」だった。レース中の記憶は実はほとんどない。「やり切った。悔しかったけど全力を出した」。ホッとしてしまった自分がいた。

迎えた今季。春先は調子が上がらず、6月上旬の日本選手権決勝では左足がつり、最下位に転げ落ちた。世界選手権の代表入りを危ぶむ声まで聞こえてきたが「スピード練習をもっと入れて、タイムも徐々に上げていければ」と焦りはなかった。中旬から欧州転戦を自らに課し、世界ランク48位中46位という僅差で5度目の大舞台へ滑り込んだ。

はい上がってきた今大会は落ち着いていた。「9秒台を出さないと抜けられない」準決勝で自身4度目の領域となる9秒97を計測。東京五輪金メダルのヤコブス(イタリア)を上回る2着に入った。1年前は3着でタイムに拾われての決勝だったが、今夏は着順で。「去年より1ステップ上がった」と進歩を実感した。

「悔しい」を連呼した2度目の決勝。確かな成長があった。「歓声も聞こえてきて、ものすごく楽しかった」と周囲を見渡し、白い歯を見せた。1年前とは異なり、心に余裕があった。

パリ五輪まで1年を切った今、思いはスッと声になる。「メダルが手に届きそうなところにきている。つかみたいですね、そろそろ」。まだ見ぬ景色、その輪郭は色濃さを増している。

◆サニブラウンの24年パリ五輪への道 今大会で8位以内に入り、かつ日本人最上位につけたため、来年1月1日から6月30日までのワールドランキング対象競技会で、参加標準記録(10秒00)を突破した時点でパリ大会代表に内定する。

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