陸上男子短距離のサニブラウン・ハキーム(24=東レ)が23日までに単独インタビューに応じ、24年7月26日に開幕するパリ五輪の100メートルで「金メダル」を目指すと宣言した。
200メートル、400メートルリレーと計3種目に挑むことも明言。8月の世界選手権ブダペスト大会では日本人唯一の100メートル決勝進出を2年連続に伸ばし、歴代最高の6位に入賞した。近未来に「9秒8台」と「世界一」をつかむイメージ、育成や競技普及への使命感も口にした。【取材・構成=藤塚大輔】
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ブダペストの激走から2カ月、サニブラウンは納得していなかった。昨年の世界選手権は日本初の決勝で7位、今年は2年連続の進出で6位。順位は1つ上がったが、手応えよりも好機を逸した感覚が上回った。
「去年はいっぱいいっぱいで、何も対策できず流れに身を任せた決勝になったけど、今年は準備して、しっかり心、体ともに合わせる時間と余裕があった。それだけに悔し過ぎたなと」
レース後に「記憶がない」ほど燃え尽きた昨年と違い、今年は悔しがる段階に入った。表彰台は届かなかったものの、決勝に2年連続で進出した選手は、自身と2年前の覇者コールマン(米国)2人だけ。前回王者カーリー(米国)ですら準決勝敗退の水準だった。
「さすがにカーリーはビックリした」と振り返りつつ、自身は準決勝で優勝したライルズに次ぐ組2着の9秒97をマーク。日本人で唯一の「複数回9秒台」を4度目に増やした。日本初の称号は「本当に興味がなくて…」と笑い飛ばしつつ、復調に自負を込めた。
大会前は不振。出場枠48のうち全体46位で滑り込んだが、本番で6位に入賞した。「心配なかった。大きな大会に強いんで、自分。舞台が大きければ大きいほど、やる気スイッチが入る感じ」-。昔からだった。
15年の世界ユース選手権で2冠。200メートルではウサイン・ボルト(ジャマイカ)の大会記録を更新する20秒34を打ち立て、同年の世界選手権に日本史上最年少16歳で出場した。17年は「全世界で最年少」となる18歳で世陸の200メートル決勝を経験した。もともと日本の枠に収まらない男だった。
その1カ月後、米国へ渡る。2年後には19歳でプロ転向。異端の道を求めた。
「世陸や五輪でメダルを取る国のトップが、どのような環境で練習しているのか。自分の目で見て感じたかった。憧れと好奇心で」
昨年は、フロリダ州ジャクソンビルの拠点に親友を招いた。同い年の男子走り幅跳び橋岡優輝(24=富士通)と合宿。自宅に居候させ、ともに不調だった時期は「俺たち厄年だな」と笑い合い、練習では「一緒に“死ねる”仲間ができた。痛みを分かち合える。めちゃくちゃ苦しい練習の後、2人とも一言も発さず、顔だけ見合わせて。お互い、口も足も動かない(笑い)」。高め合った結果、橋岡は先月のダイヤモンドリーグファイナルで日本男子初となる銅メダルに輝いた。
サニブラウンも、世界最速決定戦の表彰台を照準にとらえている。開幕まで10カ月となるパリ五輪までのロードマップを口にした。
「年内に200メートルの練習を再開して、来年から試合も出ます。長い距離も入れ始めたところ。もちろん、しっかりと100メートルの方ともバランスを取りながら」
100メートルと200メートルの違いには「距離が2倍なだけ」とおどけながら「結構きつい、体力的に」と表す。続けて「200メートルには200メートルのテクニックが必要。ただ、伸びてリラックスして抜けてくる感覚は一緒。距離は違えど似ている部分はあって、相乗効果が生まれる。(東京五輪で苦しんだ腰3カ所のヘルニアなど)けがも治ったし、またしっかり耐えられる体づくりを始めていく」と言った。
400メートルリレーも含めた3種目への挑戦。つかの間のオフを終え、米国へ戻った。「今年は大会やイベントで3カ月に1回は帰国していたので、こんなに日本にいたのは6年ぶりかな。滞在し過ぎて暇になった観光客の気分。早くアメリカに帰りたい」。米国7シーズン目には「必要な練習を考え、リストアップして、コーチに相談しながら組み立てたい」と強化プランの一端も明かした。
花形の100メートルでは「9秒8台」を狙う。未知の領域に日本人初の1歩を刻めば、おのずと結果は出る。
「練習でやっていることを出せればタイムはどんどん上がるはず。感覚としては、記録を狙うより、走りのスキル、精度を上げていけばタイムがついてくるイメージ。まずは9秒9の壁を着実に越えていきたい」
今年の世陸Vタイムは9秒83。21年の東京五輪は9秒80だった。自己ベスト9秒97を、どこまで縮められるか。既にパリの参加標準記録10秒00は破っている。
「やるなら金メダル」「目指すなら一番上」「自分で自分の限界を決めない」
これまでも公言してきた覚悟を来夏、パリで示す。
「目標は変わらずメダルですけど、最近、やっぱり色が金じゃないと悔しいと思うんだろうな、と。銀は最初の敗者だと思うし、銅は上に2人いるわけだし」
その先に25年世界選手権東京大会も待つ。パリ五輪の結果次第…入賞とメダルでは盛り上がりも変わる。
「いい走りをして、子供たちやお世話になった方たちに喜ぶ姿、金色のメダルを見せられれば。それが最大の目標かな。競技者として、最高の舞台でしか見せられないものがあるので」
花の都で満開へ。自身の結果が日本陸上界の浮沈を担う覚悟で、頂を目指す。
◆サニブラウンの世界選手権ブダペスト大会 男子100メートルの代表選考会を兼ねた6月の日本選手権は左ふくらはぎをつって決勝8位。世界ランクで出場権を得た。8月の本大会は組1着10秒07で通過。準決勝で9秒97の自己記録タイをマークし、決勝は10秒04で6位となった。準決勝でも同走したライルズが9秒83で優勝した。男子400メートルリレーも坂井、柳田、小池と出場。アンカーを務めた決勝は37秒83で5位だった。
◆サニブラウン・アブデル・ハキーム(Abdul Hakim Sani Brown)1999年(平11)3月6日、北九州市生まれ。東京育ち。ガーナ人の父と日本人の母の間に生まれ、小学3年でサッカーから転向。15年の世界選手権北京大会に日本人最年少16歳172日で出場。東京・城西高を卒業直後の17年に日本選手権で14年ぶり短距離2冠。同年秋に米フロリダ大へ入学。19年6月に当時日本新記録の9秒97をマーク。20年7月に休学し、タンブルウィードTC所属。東京五輪は腰痛で男子200メートル予選敗退。190センチ、83キロ。血液型O。