ロンドン五輪をかけた東京マラソン(26日午前9時10分号砲、東京都庁~東京ビッグサイト)の選手会見が24日、都内で行われ、市民ランナー川内優輝(24=埼玉県庁)が「先制口撃」を仕掛けた。ライバル藤原新(30=東京陸協)に対し「タイムを明言しないので、僕は2時間7分台と明言します」と発言。藤原新が「持ち上がるために言わなかった」とやり返すと、負けじと川内も応酬。丁々発止の展開に会場は大爆笑に包まれた。川内を軸とするロンドン切符をめぐる争いは、レースを前に一気にヒートアップした。

 前世界記録保持者で「皇帝」と呼ばれる世界最強ゲブレシラシエを迎えても、やはり主役は川内だった。外国人招待選手に交じって、国内から藤原新、藤原正和とともに登壇。ゲブレシラシエの隣に座った川内のマシンガントークは、最初からエンジン全開だった。

 川内

 目標としましては、以前から言いました通り2時間7分台。平常心を持って2時間7分台。昨年は藤原新さんが2時間7分台と言っていたと思いますが、今回はそのように明言しなかったので、僕は2時間7分台というのを明言したいと思います。

 いつもの早口で、公務員らしく言葉は折り目正しいものだった。だが、挑発するかのようにライバルと目される6歳上の選手を名指し。目標とする「2時間7分台」を3度、口にした。これには藤原新も黙っていられない。司会者から水を向けられると、笑顔で辛辣(しんらつ)にやり返した。

 藤原新

 僕がタイムを明言しなかったというのは、あのー、ちょっと気を使って。(川内の)7分台が持ち上がるように。なので…、そういう意味なんで、川内君。

 すると最強市民ランナーも負けていない。

 川内

 いやぁー、完全に藤原新さんは日本記録(2時間6分16秒=03年、高岡寿成)狙いということが分かりました。これで僕のモチベーションも上がると思います。ぜひ25キロ以降、引っ張り合っていきましょう。よろしくお願いします。

 世界のゲブレシラシエを間に挟み、丁々発止の展開となった。100人以上のメディアで埋まった会場が沸く。さらに応酬は続く。

 藤原新

 後ろに付くのはなしだよ。交代交代だからね。前に出ないと嫌だよ。

 会場は大爆笑。そこへ絶妙の間合いで、マイク片手に皇帝が続いた。

 ゲブレシラシエ

 ケンカはよくないですよー。

 まるでプロレスのような掛け合いで、完璧なオチまで付いた。陸上選手の会見と言えば、控えめで当たり障りのない発言に終始することが多い。だが常識を打ち破る男・川内は違った。

 1987年(昭62)12月の福岡国際マラソン。ソウル五輪の選考レースで、左足骨折で欠場した瀬古利彦に対し、強烈なライバル心を抱いた中山竹通が「はってでも出てこい」というニュアンスの発言をした。日本が「マラソン王国」を自負した熱き時代の風、ガッツあふれる川内が「春一番」を吹かせた。

 会見が終わると、川内は「自分は自分の平常心でいきます。瀬古さんの本にも書いてありました。平常心が大事、と。平常心を失ったから、ロサンゼルス・オリンピックの時(14位)に崩れた」。最後は、きっちり瀬古メソッドを取り入れていることを明かし、決戦への準備は完了。そして実業団を皮肉るかのように続けた。

 川内

 努力をしても報われない人のためにも、1日2時間の練習でもできることを証明したい。

 日本マラソン界に風穴をあける男は、どこまでも痛快だった。【佐藤隆志】

 ◆男子マラソンのロンドン五輪代表選考

 昨年9月の世界選手権と12月の福岡国際、今月26日の東京、3月4日のびわ湖が対象レース。具体的な設定基準はなく、各レースに1キロ3分で25キロまでペースメーカーを付け、レース内容を考慮する。各大会の上位から「五輪での活躍が期待できる」と思われる3人が選ばれる。福岡で日本人トップの3位に入った川内が現時点では最有力候補。なお世界選手権はメダル獲得した最上位者が内定するはずだったが、当該者はいなかった。

 ◆88年ソウル五輪男子マラソン選考騒動

 日本陸連が五輪候補選手は必ず出場することを厳命していた87年12月の福岡国際マラソン。「一発勝負」で五輪代表3枠を争うはずだったが、有力候補の瀬古利彦が左足腓骨(ひこつ)の剥離骨折で大会11日前に欠場に。救済措置を検討するべきか物議を醸すなかで、ライバルの中山竹通が「はってでも出てこい」という趣旨の発言をして騒動になった。同レースでは中山が同年世界最高記録で優勝し、2位の新宅までが代表に内定。瀬古は急きょ選考会に設定された翌春のびわ湖毎日で優勝して3人目の代表に選ばれた。