1992年2月のアルベールビル冬季オリンピック(五輪)開幕の半月前、私は開会式の極秘リハーサルにカメラマンと潜入した。

人気のなくなった夕刻で、氷点下5度まで冷え込んでいた。屋外の会場をプラカード嬢が本番の衣装で行進をする光景を隠れて撮影して、カラーの面で記事にした。当時も開閉会式の内容は秘密とされていたが、まだインターネットもない時代。日本のスポーツ紙の記事など、組織委員会がチェックしているはずもなく、当然おとがめもなかった。

極秘情報は開会式に出演する女性ダンサーを取材した時に聞いた。彼女らは組織委員会に大きな不満を持っていた。開会式までの長期間拘束の日当はわずか約3500円。宿舎はホテルではなく6人部屋のロッジで、バスタブはなくシャワーは18人に1基の割合という劣悪な環境だった。彼女らの大半は1回の舞台で10万円前後を稼ぐプロ。再三の改善要求にも組織委は応じる気配はなく「新聞で大きく報じてほしい」と彼女は私に訴え、非公開だったリハーサルの時間と場所まで教えてくれた。

約30年も前のことを思い出したのには理由がある。東京五輪・パラリンピック組織委員会が、週刊文春が掲載した開閉会式の内容を報じた記事に対して、発行元に掲載紙の回収と、ネット記事の削除を求めているからだ。前責任者の「演出案」の一部を報じたことが、著作権法違反や業務妨害などにあたるという主張だ。しかし、極秘情報の漏えいはそもそも組織内の情報統制のほころびが原因ではないのか。運営に不満を持つ人たちが少なからずいる気がしてならない。

昔から大会組織委にとって、開閉会式の内容はトップシークレット。それが一部とはいえ表に出たことへの怒りは理解できる。ただ発行元へ抗議したとしても、雑誌の回収や記事の削除の要求は度を超えている。「お上」が隠そうとするものを、すっぱ抜いて報じようというのがマスメディア。それは江戸時代の「瓦版(かわらばん)」から変わらない。それが庶民の関心事であればなおさらだ。しかも今は誰もが情報を発信できる時代。一昔前より情報はずっと漏えいしやすい。

組織委の橋本聖子会長は、現役時代から取材に協力的で、常に誠実に対応してくれる。議員歴も長く、メディア対応にたけていると思っていたので、今回は意外だった。コロナ禍で1年延期された今夏の開催に賛成している国民は依然として少数派。女性蔑視発言で森喜朗前会長が辞任し、開幕まで4カ月を切っても機運は盛り上がらない。その焦りやいら立ちで、組織委内も余裕がなくなっているのかもしれない。

もっとも演出案が一部漏えいしたくらいで、開会式の感動が薄らぐことはない。アルベールビル五輪のメイン会場で見た開会式は、リハーサルで目にしたものとはまるで違って見えた。そこに選手がいたからだ。東西冷戦が終結し、ソ連が崩壊して初めて迎えた大会。分断された旧ソ連の国々が一団となって五輪旗を掲げて入場し、ベルリンの壁が取り払われたドイツも東西統一チームで行進した。世界の雪解けを象徴するような平和な光景は、白銀を解かすほどまぶしかった。

その記憶も競技が始まると一気に薄れた。あの大会で私が最も記憶に残っているのは大会最初のメダルとなったスピードスケート女子1500メートルの橋本聖子の銅メダル。ちなみに開閉会式の選手入場後のセレモニーや、その後の演出プログラムについては、今やほとんど覚えていない。あらためて、五輪の主役はあくまでも選手なのだと思った。【首藤正徳】

アルベールビル五輪開会式で入場する日本選手団(1992年2月8日撮影)
アルベールビル五輪開会式で入場する日本選手団(1992年2月8日撮影)