競泳男子のケーレブ・ドレセル(米国)は本物の怪物だった。自由形とバタフライの個人3種目とリレー2種目を制して5冠を達成した。うち2つが世界新記録。人間離れしたロケットスタートと、高速回転の水車のようなストロークに圧倒された。金メダルは前回と合わせて7つ。まだ24歳。“水の怪物”マイケル・フェルプス(米国)の持つ金23個の五輪最多記録更新も期待させた。

男子50メートル自由形で金メダルのドレセルはガッツポーズ(撮影・鈴木みどり)
男子50メートル自由形で金メダルのドレセルはガッツポーズ(撮影・鈴木みどり)

レース後の表彰式で彼のある行為に目が留まった。金メダルを首にかけると、ズボンの左ポケットからそっと青と黒の柄のバンダナを取り出して、左の手のひらに巻きつけた。そして、その左手で、受け取った記念のブーケをしっかりと握り締めて国歌を聴いた。どの表彰式でもルーティーンのように繰り返していた。

理由を調べて胸を打たれた。7冠を達成した17年の世界選手権後、高校時代の女性教師が乳がんで亡くなった。人生でもっとも信頼していた心の師でもあった。バンダナはその恩師の愛用品だった。失意の彼に、故人の夫が形見分けしたという。以来、彼はそれを「御守り」として常にレースに携えていた。このエピソードを見つけた時、私の中で、水の中のあの怪物アスリートが、心優しき1人の青年に変わった。

ケーレブ・ドレセルの左手には「御守り」のバンダナ(ロイター)
ケーレブ・ドレセルの左手には「御守り」のバンダナ(ロイター)

五輪はこうして時にふと、偉大なアスリートや無敵の王者が人間味を露呈する。それが何とも美しく、胸に迫る。どんな選手も人間に変わりないのだと気づかされるからだ。ドレセルも私たちと同じように何かにすがって、難しい戦いに挑んでいたのだ。世界中の人々が五輪に感動するのは、単に強さや速さだけではなく、そこにかいま見える優しさや、弱さも含めた生身の人間ドラマがあるからなのだと思う。

同じような記憶がある。91年8月に東京で開催された陸上世界選手権。男子100メートルを9秒86の世界新記録で制したカール・ルイス(米国)が、レース後の記者会見で突然、おえつをもらした。「東京の空の雲の切れ目から、きっとパパが僕を見ていてくれたんだ…」。この日、彼は亡き父を心の支えに走っていたのだ。陸上界の巨星が、私たちと同じ等身大の人間に見えた瞬間だった。

91年世界陸上男子100mを9秒86の世界新記録で優勝したカール・ルイス
91年世界陸上男子100mを9秒86の世界新記録で優勝したカール・ルイス

応援してくれているのはスタンドの観客だけではない。それぞれの人生の中にも大勢いる。そして、時に心の中で観客以上の大きな味方になってくれる。それは無名選手も、金メダリストも変わりはない。前例のない無観客での五輪開催。大観衆も、大歓声もない表彰式で、バンダナを巻いた左手で記念ブーケを持ったドレセルの笑顔を見ながら、そんなことを考えた。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)