新型コロナウイルスの変異型「オミクロン株」の世界的な感染拡大が、年末の国内でのスポーツイベントを直撃している。12月9日に大阪で開幕予定だったフィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルの中止発表を皮切りに、海外選手が出場するイベントは次々と中止や延期が決まり、開催できても国内選手に限定されるなど厳しい対応に追われている。

私が今年一番楽しみにしていた12月29日のプロボクシングWBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太(帝拳)と、IBF同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)の王座統一戦も延期が決まった。ミドル級(72・5キロ)という最も層の厚い階級で、両者合わせた報酬が10億円を超える日本史上最大のスーパーファイト。ボクシング史に新たな歴史が刻まれるはずだった。残念でならない。

政府は11月30日に外国人の入国禁止を決めた。オミクロン株の危険性はまだよくわかっておらず、海外からの入国規制など厳しい水際対策の実施はやむを得ないが、わずか5カ月前の東京オリンピック(五輪)の対応との違いはどうだ。今以上の感染リスクを抱えた中、当時の菅首相は6月のG7で「大きな困難に直面する今だからこそ、人類の努力と英知で難局を乗り越えていけると世界に発信したい」と強調し、開催を推進した。

東京五輪には205の国と地域から約1万1000人が参加。国内の感染者は期間中に1日5000人超にまで膨れあがったが、政府幹部は「安全・安心」を念仏のように連呼。「アスリートのために」の発言も頻繁に聞いた。ちなみに村田-ゴロフキン戦は1夜興行で来日する外国人も20人程度。東京五輪を前例にするならば、政府から「バブル方式なら十分開催できる」との声が上がっても不思議ではないが、今回は五輪時のような入国や隔離に関する特例措置もない。

同じスポーツ、同じトップアスリートだが、政府は利害の少ないイベントには関心がないのだろう。オミクロン株の感染が世界で急拡大する中でも、スポーツイベントを開催するべきだと主張しているわけではない。むしろ最悪の場合を想定して、国民のリスク回避を最優先する現政権の対応が正常なのだろう。だからこそ「安全・安心」は五輪を開催するための、その場しのぎの弁明だったのだと今あらためて思う。

そんなことを考えていたら、米国が来年2月4日に開幕する北京冬季五輪の「外交的ボイコット」を表明し、開閉会式に政府首脳を派遣しないことを決めた。日本の対応も注目されている。一方、日本では東京大会の検証も終えていない中、30年冬季五輪・パラリンピックの札幌招致に向けた大会概要案が公表された。政治とカネにがんじがらめになった五輪が何だか気の毒になる。“特例措置”はないけれど、政治と縁遠いプロボクシングの方がずっと自由で、見ている方も純粋にスポーツとして楽しめると思った。【首藤正徳】