2005年8月の陸上世界選手権(ヘルシンキ)の男子100メートル決勝は、前年のアテネ五輪覇者ジャスティン・ガトリン(米国)が制した。2位以下に2メートル以上の大差をつける世界大会史上最大差(当時)での圧勝に、観客は総立ちで祝福した。

私は記者席で立ち上がって、この光景をしっかりと目に焼き付けた。ガトリンこそ、あのカール・ルイスを超える可能性を秘めた新時代のヒーローに違いない。そして、このレースは伝説として語り継がれるのだと思ったからだ。この会場で同じ空気を吸っていることに感謝した。

ところが、翌年、彼はドーピング違反で4年間の資格停止処分を受けた。そのニュースを目にした瞬間、あのヘルシンキの至福の記憶が、真っ黒な墨で塗りつぶされたような気持ちになった。彼のレースだけではなく、大会そのものに泥を塗られたようで、すっかりしらけてしまった。

昨夏の東京五輪・パラリンピックのスポンサー選定を巡る汚職事件で、大会組織委員会の高橋治之元理事が、受託収賄容疑で逮捕された。大会スポンサーの紳士服大手AOKIホールディングス(HD)に便宜を図り、現金を受け取っていた容疑である。

AOKIHDは日本選手団が着用した、白いジャケットに赤いパンツの公式服装を手掛けた。その裏側で不正な金銭授受が介在していたのだと思うと、あの開会式の記憶が急に色あせ、黒い影が差してきた。製作に携わった大勢のデザイナーや職人、選手たちの無念の思いはいかばかりか。

東京大会は開幕前から逆風が吹き荒れた。コロナ禍による緊急事態宣言下での強行開催に、7割を超える世論が反対した。そのマイナスに振れた針をプラスに引き上げたのが、アスリートたちの純な戦う姿。大会後のNHKの世論調査で「開催できてよかった」という声が半数を超えた。今回の事件はそんな貴重なレガシーにも泥を塗った。

この事件がガトリンのドーピング違反を思い出させるのは、単に記憶が上書きされたということだけではない。肥大化した五輪という強い光の裏にある闇が浮き彫りになったことでも重なるからだ。商業主義が顕著になった近年は、大会のたびに買収や贈収賄などの不正が発覚していた。元理事の逮捕も、ゆがんだ金満体質や利権構造が根底にあるのだろう。

東京大会もカネまみれで裏金の温床だった……五輪に対する世間の疑念は、今回の一件でさらに強まった。それが残念でならない。ガトリンは資格停止処分から復帰後も、ずっと観客のブーイングを浴び続けた。失った信頼を取り戻すのは、たやすいことではない。あしき体質と構造を根本から変える。「平和の祭典」を持続させていくには、それ以外の道はない。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)