試合終了の笛が鳴った。その時、もう1つのW杯を見つけた。

敗れたポーランドのFWレバンドフスキが、フランスのFWエムバペを笑顔で抱きしめ、頭にキスをした。W杯カタール大会の決勝トーナメント1回戦のフランス-ポーランド戦は試合後、一発勝負の緊張感が一瞬にして、温かい平和な空気に変わった。

3点を先行されたポーランドの完敗だった。それでも、レバンドフスキはロスタイムにPKを決めて、ブンデスリーガ5年連続得点王の意地を見せた。86年以来9大会ぶりの1次リーグ突破に貢献して母国の期待に応えた彼は、実はウクライナの国旗と同じ青と黄色のキャプテンマーク(腕章)を大会に持参していた。

ウクライナ支援の募金を呼びかけてきたレバンドフスキは、9月に首都ワルシャワでウクライナ代表の元エースで代表監督も務めたシェフチェンコ氏から腕章を託された。ウクライナは延期された欧州予選プレーオフでウェールズに惜敗。「反戦と平和を」「W杯で国民に夢を」。そんな果たせなかった思いが、腕章には込められていた。

ポーランドはロシアの侵攻以来、ウクライナ避難民を受け入れてきた。11月15日にはポーランド東部にもミサイルが着弾して2人死亡。代表チームのカタールへの移動は、戦闘機の護衛を受けたとも報じられた。そんな緊迫した情勢下で、W杯のピッチに立ち、満員のスタジアムで、死力を尽くしてサッカーができる。レバンドフスキの笑顔には、勝敗を超えた喜びがにじんでいたようにもみえた。

W杯という強い光の前に、私たちは戦争という現実を忘れがちになる。しかし、本当は4年に1度、W杯に出場できるという保証は誰にもないのだ。90年大会でベスト8に進出した、あのイビチャ・オシム氏が率いた旧ユーゴスラビアも、内戦による制裁で94年大会に出場できなかった。戦火はいつ、どこで上がるか予想などできない。

日本サッカー界最初の奇跡は1936年ベルリン五輪で優勝候補スウェーデンを撃破した“ベルリンの奇跡”。開会式前日に40年東京五輪開催が決まり、選手たちは“4年後は”の思いで聖火を見ていたに違いない。だが、東京に聖火はこなかった。戦争という時代と重なったのだ。その無念はいかばかりか。

今大会の日本の快進撃に、列島は沸騰した。渋谷に若者たちが歓喜の大行列を成した。それも裏返せば、何と平和な光景だろう。ひたむきにボールを追う選手の姿に、ゴールシーンに、勝敗に一喜一憂できることに、あらためて感謝と幸福をかみしめながら、決勝トーナメントを楽しみたいと思う。【首藤正徳】