本田宗一郎

ホンダとCM契約を結んだペレと一緒にバイクにまたがりご機嫌な本田宗一郎さん
ホンダとCM契約を結んだペレと一緒にバイクにまたがりご機嫌な本田宗一郎さん

「バカヤロー」の声が飛ぶ。三日三晩食事もしなければ、眠ることもない。浜松の町工場から「世界のホンダ」へ一代で飛躍させた。人一倍強い好奇心と行動力、発想力、人間尊重の経営理念を持った人物は、本田宗一郎のほかに後にも先にも出てきやしない。「失敗を恐れるな」が口癖だった。ドリーム、スーパーカブでバイク時代を築き、「F1こそ最高の実験場」と技術の追求に妥協せず、「やられたら、勝つまでやる」の熱い闘魂で人も育てた。肝不全のため84歳で他界。社員には「オヤジさん」と呼ばれ慕われた。生前「自分の葬式で交通渋滞なんて我慢できない」と語っており、公の通夜、告別式は行わなかった。社内では通常の業務がいつもと変わりなく行われていた。(/_;)

<社会・1991年8月6日掲載>