「切磋琢磨(せっさたくま)して、世界を目指します」。瀬戸がそう話したのは10年前、高校総体の時だった。

高校生には珍しい言葉を使うと思ったが、言い慣れていた。まだ2人ともジュニアレベル。シニアの代表経験もなかったが、いいライバル関係にあることは容易に想像できた。

当時、個人メドレーには世界選手権3位の堀畑裕也がいた。高い壁だと思っていたが、11月のW杯東京大会(短水路)で瀬戸が400メートルで、萩野が200メートルでともに堀畑を破って優勝。「(萩野)公介と一緒にロンドンに行きたい」「(瀬戸)大也と出たい」。17歳の言葉は頼もしかった。

その後の2人の活躍は目覚ましかった。そして、何度も「切磋琢磨」の言葉を聞いた。もちろん、ともに浮き沈みはあった。だからこそ、ライバルの存在が必要だった。高校から日本、世界と争う舞台は変わっても、2人で「高め合う」ことはずっと続いていた。

ただ、五輪については瀬戸が遅れた。萩野が銅メダルを獲得した12年ロンドン大会は選考会直前に体調を崩して落選。16年リオデジャネイロ大会は萩野が金に対して銅だった。リベンジに燃えて絶好調で迎えるはずだった今大会は、まさかの1年延期となった。

世界選手権では、19年個人メドレー2冠など4回優勝。短水路も合わせれば9回も世界一になっている。それでも、なぜか五輪は無冠。早々と代表内定を得た今大会も「優勝候補」と言われながらメダルにさえ届かず。期待した周囲よりも本人がショックだろう。

4年に1回だから、五輪に愛されない選手はいる。何度も世界選手権を制しているのに、五輪では勝てない。逆に五輪だけ勝つ選手もいる。単なる巡り合わせかもしれないが、それでも「五輪の女神」はいる。そう思わせることは多い。

ただ、負け続けるばかりとは限らない。スピードスケート米国代表のダン・ジャンセンは優勝候補として3度の冬季五輪に臨んだが無冠。4大会目の最終レースで涙の金メダルを獲得した。あきらめずに挑戦し続けると、時として「女神」がほほ笑むこともある。

レース後、2人の笑顔は純粋で美しかった。五輪やメダルなど関係なく、ただ競い合っていた小学生のように。これから2人の関係がどうなるかは分からないが「切磋琢磨」は続けてほしい。次の五輪は3年後。チャンスは、意外と早くやってくる。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

男子200メートル個人メドレー決勝 4位の瀬戸(右)と6位の萩野(撮影・パオロ ヌッチ)
男子200メートル個人メドレー決勝 4位の瀬戸(右)と6位の萩野(撮影・パオロ ヌッチ)
男子200メートル個人メドレー決勝 4位の瀬戸(左)と抱き合って健闘をたたえ合う6位の萩野(撮影・鈴木みどり)
男子200メートル個人メドレー決勝 4位の瀬戸(左)と抱き合って健闘をたたえ合う6位の萩野(撮影・鈴木みどり)