楽しみが奪われたのは、3月2日のことだった。新型コロナウイルスの影響で、同月に予定されていたラグビーの全国高校選抜大会(熊谷)中止が決まった。

広島の強豪校、尾道は2月の中国大会優勝。目標の選抜8強へ調子を上げていた。田中春助監督(32)は約3カ月前を振り返った。

「『みんなの楽しみを(コロナが)取りやがった』という感覚ですよね。冬に練習をしてきて『その力を試したい』という気持ちを持っていた。子どもらもショックを受けていました」

この春、チーム全体の活動は約2カ月できなかった。その間、ラグビーの映像を見て、理解度を高めようと励んだ部員がいた。普段から掲げる文武両道を全うしようと、監督に対し「学校と同じ時間割で勉強します」と誓った部員もいた。

5月27日、学校近くのスーパーマーケット「ハローズ向島店」では献血が行われていた。コロナ禍で献血する人が減少していると知った部員が「地域全体で協力できないか」と発案。学校を通じて各所に働きかけ、広島県赤十字血液センターがバスの派遣を快諾した。部員は事前に告知ポスターを作り、近隣の飲食店などで呼びかけた。当日は買い物に訪れた地元住民や、部員ら計64人が献血に協力。フランカーの森元一気主将(3年)はうなずいた。

「『今できることを探そう』となった。地域の方から『ありがとう』と言われたのがうれしかったです」

部員の目が地域に向く理由があった。大きなきっかけは09年の学校移転。旧校舎と同じ尾道市内だが、JR尾道駅からフェリーで約5分の「向島キャンパス」で新しい生活が始まった。

部員が住む寮はアパートを借り上げる形となり、スタッフは大家と交渉を進めた。当時コーチだった田中監督は、こう振り返った。

「断られることが多かったんです。『ラグビー=やんちゃ』というイメージで、地域の方も『ほんまに大丈夫なんか?』という思いがあったと思います。その中で『うち、いいよ』と言ってくださる大家さんがいました。地域に育ててもらっているという歴史は、僕が(19年1月に)監督になってからも伝えています」

日頃のあいさつ、地域住民への気遣いなどを大切にしてきた結果、応援の声は次第に増えていった。その声はチームの活力となり、目標を見失った自粛期間に部員の新しい発想を生んだ。主将としてまとめる森元は、相乗効果を実感した。

「目先の大会がなくなり、モチベーションは難しかったです。ただ、今回の献血のことで仲間と話し合う機会が増えて、チームワークは上がったと思います」

緊急事態宣言が解除され、5月18日から対策を施した上で練習が再開された。

「幸せですか?」

練習後に部員へそう問いかけた田中監督は、教え子たちの成長を感じている。

「うちは才能あふれた集団ではない。1つのパスをミスしても致命傷ですし『しつこくタックルして何とか…』というチーム。試合もできないですし、他校と比べて、練習の精度が高いのか、低いのかも分からない。今後も普段とは違う大変さはあるでしょう。それでも、充実した(自粛)期間を過ごせた。そんなプラスのイメージがあります」

毎冬、大阪の花園ラグビー場で行われる全国高校大会には13年連続出場中だ。昨年度、2回戦敗退を味わった森元は力強く言った。

「あの悔しさをバネに、花園で優勝したいです」

ラグビーができる。地域に応援される。そんな「幸せ」を再確認し、部員66人は走り始めた。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆尾道ラグビー部 2002年(平14)創部。全国高校大会には14回の出場。最高は14年度の4強。前に出続ける防御がチームの伝統。主なOBは三菱重工相模原NO8土佐誠、神戸製鋼フッカーの鹿田翔平、長崎健太郎。

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年平昌五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。

優勝した2月の中国大会でプレーする尾道の選手たち(尾道ラグビー部提供)
優勝した2月の中国大会でプレーする尾道の選手たち(尾道ラグビー部提供)