競技が本格開始された24日、無観客という現実を痛感する出来事があった。体操男子の内村航平(32=ジョイカル)が普段なら落下しないような、離れ技の連続のあとにひねり技で、マットに打ち付けられた。まさかの予選落ち。なぜ? その答えは本人も「分からない」というが、1つ気になる発言があった。

「(出場)4回目ですからね。亀山なんかは初めてですごく良い演技をしていて、気持ちがこもっていて。僕は違うのかなと思います。やりながら。そんな感じがしました」。

鉄棒を終えて、同学年で初出場の亀山耕平を見ながら、振り返っていたという。気持ちがこもらなかった? なぜそうなってしまったのか。

過去3度のオリンピック(五輪)は、会場が満員の中で演技をしてきた。今回は無観客。他競技担当ながら、記者もソチ、リオデジャネイロ五輪と現地でその過剰なまでの熱気に触れてきた。国籍も入り乱れ、各国の独自の応援スタイルが重なり合う。それが独特の雰囲気を生んでいた。重なり具合で、開催地ごとの「色」もあった。それが今回はない。

内村はあくまで「自分のせい」と外的要因に失敗の理由は求めなかった。ただ、あまりにもこれまでの五輪と異なりすぎ、五輪という特別感が希薄だったことは、少なからず影響したのではないかと考える。

会場こそ五輪マークがちりばめられ、装飾も青を基調に、国内大会との違いは見られたが、観客が醸成するものがない。同時に、演出も国内大会のそれを思い起こさせた。内村の出番の時に「キング内村航平!」と会場に紹介されたアナウンスも、全日本選手権などと同じだった。

逆に言えば、初出場の選手たちには比較対象がない。むしろ、コロナ禍で経験済みの無観客という環境の延長上で、雰囲気にのまれるという事態も少ないのではないか。亀山だけでなく、同じく初五輪の4人の団体メンバーの躍動を見ながら、その対比を感じた。

内村は「練習したことをそのまま出せる能力がないんだなって。大舞台になればなるほど出せていた印象だけど、もう出せない」と嘆いたが、これまでは五輪の雰囲気が助けていたの部分もあると思う。経験豊富だからこそ、五輪を知るからこそ、違和感を覚える。それがどこかで心身に影響を及ぼす。

大会期間中、ベテラン勢と初出場勢の結果にどのような傾向が出るか。注目したい。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

鉄棒の演技で落下する内村(撮影・鈴木みどり)
鉄棒の演技で落下する内村(撮影・鈴木みどり)
鉄棒の演技を終え、目をつぶる内村(撮影・鈴木みどり)
鉄棒の演技を終え、目をつぶる内村(撮影・鈴木みどり)