目をうるませ、声を震わせて、言葉を紡いだ。米国の北京五輪(オリンピック)公式ウエアを着て、丁寧に周囲への感謝を伝えた。

北京五輪最後となったフィギュア団体男子フリーの演技を終えたビンセント・ジョウ(AP)
北京五輪最後となったフィギュア団体男子フリーの演技を終えたビンセント・ジョウ(AP)

フィギュアスケート男子のビンセント・ジョウ(21)。2019年世界選手権で銅メダルをつかみ、自身が持つ自己ベスト299・01点は世界歴代3位。2度目の五輪で、メダル有力候補と位置付けられていた。

2月7日夜、ジョウは自身のインスタグラムに動画を投稿した。その表情に悲しさと、やるせなさがにじんだ。

「こんなことが自分の身に起こるとは…。まだ受け入れることができません」

新型コロナウイルスの検査結果が陽性。追加検査で陰性となれば、8日に予定されている個人の男子ショートプログラム(SP)に出場できる見通しだった。

だが、2度目も陽性反応が出た。無症状ながら、個人戦の棄権が決まった。

2月6日のフィギュア団体男子フリーで演技するビンセント・ジョウ(米国)(ロイター)
2月6日のフィギュア団体男子フリーで演技するビンセント・ジョウ(米国)(ロイター)

どん底からはい上がった1年だった。昨季は世界選手権のSPで70・51点を記録。世界7位の自己ベスト100・51点に30点も及ばず、25位でフリーにすら進めなかった。心身ともに疲弊した状態から立ち上がり、今季はグランプリ(GP)シリーズ第1戦スケートアメリカで優勝。絶対王者のネーサン・チェン(米国)を上回り、第4戦NHK杯でも2位に入った。完全復活-。周囲がそう感じても、手は抜かなかった。

米国に戻ると、日本の中学1年生が滑る動画に向き合った。

「シンプルな滑りの部分を見つめなおしてみる?」

遠隔で指導を受ける日本の浜田美栄コーチ(62)に提案され「頑張る」と誓った。お手本は浜田コーチの教え子で、スケーティングに定評がある大門桜子(13)。大門の基本的な滑りをまねし、最初は「うまくできなかった」と苦笑いした。1週間かけてじっくりと基礎から見直し、浜田コーチとは「簡単なことを、丁寧にしよう」と誓い合った。4回転トーループは大門と同学年の島田麻央(13)の動画からヒントを得た。

プライドに縛られず、固定観念を捨てて、一生懸命にスケートと向き合った。

2月6日のフィギュア団体男子フリーで演技するビンセント・ジョウ(米国)(AP)
2月6日のフィギュア団体男子フリーで演技するビンセント・ジョウ(米国)(AP)

2度目の五輪は、1度きりの演技で終わった。

2月6日に行われた団体戦の男子フリーで3位。米国の銀メダルに貢献する演技後、コロナ陽性が判明した。翌7日に氷上で行われたフラワーセレモニーにも、参加はかなわなかった。

団体戦でジョウとともに米国を背負ったアイスダンスのエバン・ベイツ(32)は、会見で思いを込めた。

「『団体戦のメダルの価値は個人と違う』という人もいる。五輪でメダルを取った人は、最高にリスペクトされるべきだと思う。名誉なことであり、最初のメダルが取れたのは素晴らしいことです」

ジョウは、こう言った。

「何度、泣いたことか分かりません。でも、その中の1回はうれし泣きでした。自分に誇りを持ちたい」

大きな悲しみと、1つの喜びが入り交じった2月7日。この日のジョウの言葉を忘れない。【松本航】

2月6日のフィギュア団体男子フリーで演技し、得点を待つビンセント・ジョウ(米国)(AP)
2月6日のフィギュア団体男子フリーで演技し、得点を待つビンセント・ジョウ(米国)(AP)
2月6日のフィギュア団体男子フリーで演技するビンセント・ジョウ(米国)(AP)
2月6日のフィギュア団体男子フリーで演技するビンセント・ジョウ(米国)(AP)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツへ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは五輪競技やラグビーを中心に取材。18年平昌、22年北京五輪と2大会連続でフィギュアスケート、ショートトラックを担当。19年はラグビーW杯日本大会、21年の東京五輪は札幌開催だったマラソンや競歩などを取材。