柔道の16年リオデジャネイロ五輪(オリンピック)男子100キロ級の銅メダリスト羽賀龍之介(31=旭化成)が、普及への使命感に燃えている。

全国少年大会が4日から2日間、東京・講道館で行われ、初日の合同練成(指導講習会)に現役選手として唯一参加した。翌5日の試合練成(団体戦の全国大会)に出場する少年少女と触れ合い「試合ぐらい大事なことですから、普及は。何年ぶりでしょうかね、今回のような直接の交流は」とうれしそうだった。

自身も小学生の時に全国大会へ出た。「もう19年前か」と笑いながら「当時の記憶は割とあって(03年大会で)3位だったんです。同じ場所で同じ日に指導するのは不思議な感覚。(毎年4月29日の)全日本選手権みたいに、継承される大会はいいなと。自分の時は練成大会が8月にあったりして、当時のトップ選手だった井上康生さんや棟田康幸さんに当たりにいってました」と振り返った。

その思い出深い体験も、次代を担う子供たちに継がれていくべきと願う。そのために動く。

過度な勝利至上主義などを背景に8月の全国小学生学年別大会が廃止になったことに正面から答え、その先に視線を送った。

「賛否があるから議論が生まれる。切り取り方によって見方が変わる。その課題を1つずつ解決していくことが困難だから、そうなってしまった。決断は仕方ないけれど、そこで何ができるか。例えば自分たち選手を見て少しでも喜んでくれる子供がいるのなら、会いに行きたいですし。もしかしたら試合で勝つことよりも大事なことなのかもしれない。ルール変更や決定に対して、現役選手は異論を唱えることができない。その中で何ができるのか考えているところです」

行き過ぎた指導。「それが普通だと考える人がたくさんいるとは思う。(廃止は)仕方ない。確かに線引きしないと、おかしな方向に向かうのは目に見えている」と一定の理解は示す。

一方で「一概に大会をなくすことは、ポジティブではない。これは何回も言ってきています」。やはり、健全な形を条件に大会が続いてほしい思いはある。勝つことで柔道への愛が深みを増し、勝ち続けることで五輪のような大舞台につながる。必要だ。

しかし思うのは、純粋なイベント、経験の場としても存続してほしいということだ。

「沖縄の子供たちと話したんですけど『東京に初めて来たんだ』と言っていたんですよね。飛行機に初めて乗って、遊園地でジェットコースターを楽しんで。それが今日の全てだと思うんです。自分も練成大会で初めて日本武道館に行った時、隣の科学技術館にも寄ったことの方も鮮明に覚えているんです。子供にとって大事なことですよね」

もちろん全国大会に出ることは競技をする上で素晴らしいの一言に尽き、一握りの選手しか経験できないことでもある。

だが「試合だけではなくて、東京に来たことも、コロナ禍に見舞われて数年後に直接、この講道館に来られたことも思い出になる。全て記憶のパッケージに入っていますよね。上を目指していく中で将来へ忘れないような、人生のヒントになるようなことが、この経験には詰まっていると思うんです」と角度を変えた。

振り返れば、自身は恵まれていた。全日本選手権への出場5度を誇る父の善夫さんは一貫していた。

「長期的な目で指導してもらえたなと。例えば逃げまくって試合に勝ったり、大きな柔道、正しくきれいな柔道ができない戦いで勝っても、よく父親に怒られていたんですよ。でも真っ向から勝負にいったら、負けたとしても怒られなかった」

その内股で「勝利の7、8割はつかんできた」という。15年の世界選手権で金メダル、翌16年のリオ五輪で銅メダル。衰えることなく精進を重ねる姿は、同期の五輪73キロ級2連覇王者、大野将平(30=旭化成)からも事あるごとに「大きな刺激」と称賛されている。

20年には、体重無差別の全日本選手権で100キロ級ながら初優勝した。21年大会は準優勝も、真の日本一を決める大会で2年連続の決勝進出という快挙を遂げた。

その柔道人生から、この日、未来の選手たちに伝えることを決めていた。

「今のうちに得意技を身につけた方がいいよ。大きくなった時、いつか世界に出た時、自分の技に助けられるから」

小学生のころ、そのような教育を父や朝飛道場の師から受けてきた。

「小学生で気付けるほど感性が豊かではなかったんですが、いま振り返れば、今日、現役選手として伝えたいことは、そこだなと。やはり勝利に走ると、汚いことをしても勝てばいい、と思う子も出てきてしまうかもしれない。現役選手として、多少なりとも影響力がある今、言えることはそこだなと思ったので、今日ここに来ることを決めました」

具体的な方策を考えようと思えば思うほど、時間は足りない。かつて「終点を見ている」とも語ったことがある現役トップクラスの発信者は「現役中にできること、やっておかないといけないこと、それと、後から(引退後)でもできることを分けて考えないといけないなと。全て明確ではないんですけど、普及であったり、子供たちのためになるような活動をしていきたい」と言葉に力を込める。

結果が求められる選手にとって、仮に普及活動をおろそかにしても「競技に支障はない」と言える。ただし「競技人口が減っていることを危機的状況だと、選手たちには感じてもらわないと」と強調することは忘れない。

「誤解してほしくないのですが、正直、いま12歳の子が12年前の大会や前後の五輪を見て記憶する、憧れることは難しいでしょう。今日、子供たちから『全日本選手権を見たよ』と言ってもらいましたが、やはり現役選手の価値というものがある。夢を与える存在になれるように。本当は東京五輪に出た選手たちが来られれば良かったんですが(男子は奈良、女子は山形で)合宿しているので。自分がアスリート委員として来ました」

アスリート委員会としてはコロナ禍の中、同じ講道館でオンラインの柔道教室を開いたこともあった。

「でも、柔道とオンラインは相性が悪いなと。リアクションも、進捗(しんちょく)状況も分からない。やはり生で組み合ってこそだなと。まだまだコロナの状況は続きますが、戻りつつもあるので、今後は各地を回れたらいいなと」

一般的には引退したオリンピアンの役目となっているが「そこに現役選手も入ってもらえたら」と求めたい。

「負担がかからないことが前提ですが、子供たちと触れ合って嫌な気分になる選手はいないですし、元気をもらえますし、この子たちのために、という思いが芽生えたり強まったりしてくれれば。今回の『全日本を見たよ』とか、直接の感覚を最近あまり選手が感じられていないこともありますし」

指導の最後は、この声掛けで締めくくった。

「続けてな」

全柔連の統計によると、小学生の競技人口(個人登録者数)は04年の4万7512人から21年の2万5636人へ約46%も減った。そこに個人戦の全国大会廃止も重なった。

東京五輪も幕を閉じた。史上最多9個の金メダル獲得の効果で、全体としては16年ぶりに登録者数が増加に転じたが、頼みの自国開催でも低年齢層だけ見れば減少に歯止めがかからなかった。

どう土台の縮小を食い止めるのか。表情は引き締まる。

「何とかしないといけない。危機感を今の選手がどれだけ感じられるか。どれだけ子供たちと接していけるか。非常に重要なことだと僕は思います」

【柔道担当=木下淳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)