もしかすると、それは彼らしい身の引き方だったのかも知れない。現役の最後は出番なく終えた。
ラグビー「リーグワン」のコベルコ神戸スティーラーズは5月13日、フランカー橋本大輝主将(35)ら12人の今季限りでの退団を発表した。橋本と日本代表42キャップを持つプロップ平島久照(39)は現役を引退。来季はコーチとしてチームを支えることになるという。
新リーグが幕を開けて間もない2月初旬に重度の脳振とうで離脱した橋本は、最後までグラウンドに戻ることはなかった。
低迷するチームと、主将という重圧。
葛藤があったに違いない。
チームの納会があった日。外は雨だった。クラブハウスの片隅。報道陣に囲まれる。
歩んできた道のりを淡々と、時には言葉を詰まらせながら、振り返った。
「ケガは関係ないです。やり切りました。2~3年前から、そろそろ(引退)かなと感じていて。シーズンが始まる前に、今年が最後になるのかな、とそう思っていました」
最後の試合は35歳の誕生日を翌日に控えた、2月6日のNECグリーンロケッツ東葛戦になった。前半37分、敵陣での相手ボールのラインアウト。ボールが出ると、突進してくる東葛のNO8ジョージ・リサレの足元へ低いタックルに入る。
トップスピードで頭部に膝が直撃し、倒れたまま動けなかった。
「ちょっとこれは深刻な感じです」-
思わず、解説者がそう漏らすほどの負傷だった。
首を固定され、担架で運ばれる。
それから長い間、練習にすら加わることはできなかった。
ただ、シーズン終盤まで復帰ができなかったのかと言われれば、そうではなかった。
「これで、いいのかなと…」
そうつぶやいた後に、こう続けた。
「自分の中で、今年のテーマとして若手を成長させること、次のリーダーをつくることを目標にしていました。僕がケガをしてから、スンシン(李承信)や橋本皓(ひかる)がチームを引っ張ってくれた。復帰するチャンスは正直、あったと思います。ただ、チームが変わろうとしている中で再び僕が戻るのもどうなのか…」
再び赤のジャージーに袖を通すことなく、自らウオーターボーイをしながら若手を支えた。
それが彼の生きざまだった。
福岡県北九州市の生まれ。九州国際大付から、FWの育成には定評のある京産大へ。長らく京産大を率いた大西健(元監督)の下で、寡黙なハードタックラーは成長した。
09年にトップリーグ(当時)の神戸製鋼入り。4年目の12年に主将を任されると、日本代表初キャップを得る。
出場はたった1試合、されど1試合。
それが、黙々と努力を重ねてきた男の勲章になる。
「代表は目標ではなく夢でしたので、まさか自分が選ばれるとは思ってもいませんでした。あれは、夢がかなった」
思い出はたくさんある。
「1番は2018年に日本一になったことですかね。人生の目標として、1回は日本一を経験するというものを掲げていた。このチームで優勝がしたかった」
そして、16年10月20日に53歳で他界した平尾誠二さん(当時神戸製鋼GM)への思いを問われると、言葉を詰まらせた。
遠くを見つめながら、しばらく沈黙が続く。
「そうですね…。感謝ですね。チームに入れていただいて、キャプテンまでさせていただいた。ラグビー選手だけでなく、人として、成長させていただいた。感謝しかありません」
派手さはない。
ただ、こんなに頼りになる選手もいない。
男は黙って仕事をするタイプの選手だった。
主将を任された京産大4年時、リーグ最下位に低迷する屈辱を味わった。12月、龍谷大との入れ替え戦。試合前に当時監督の大西健がロッカー室に4年生だけを集めた。
責任を取って身を引くことを伝えると、人目をはばからずに男泣きした。最後、1部残留を決めるトライを挙げたのは橋本だった。
大西は当時をよく覚えている。
「余計なことは言わない。黙々と体を張る子でした。前年に国立(大学選手権4強)まで行ったのに、入れ替え戦に回った年のキャプテン。私が『辞める』と言ったら、橋本の顔が引きつってね。ポロポロと涙をこぼしていました。相手の龍谷大には記虎(監督)がいて。しんどい試合になるのは分かっていましたから。ようやく残留を決めるとね、『先生にこんな思いをさせて申し訳ありません』、と。あの子は、そう言っていましたよ」
そのプレースタイルがゆえに、ケガが多かった。
脳振とうに、ヒジの脱臼で両関節は手術を受けた。復帰まで半年以上を要する故障が多く、数えたらきりがない。
結婚式の際、母はそっと大西に耳打ちをしたという。
「もう見ていられない。本当は早く辞めて欲しいんです」
親であれば、それが本音だろう。頑張って欲しい、ただ、ケガだけはしないで欲しい-。
入れ替え戦に臨んだ、あの日から十数年の歳月が流れていた。引退を発表する前に、恩師には電話を入れた。
「体がもう限界です」
何も言わずとも、重ねてきた苦労を知っているからこそ、大西はこう伝えた。
「そうか。長いこと、ほんまにようやった。お疲れさん」
最後は果敢にタックルに入り、担架でグラウンドを去った。
彼らしい姿だった。
(敬称略)【益子浩一】